倭迹迹日百襲姫(やまと・ととひ・ももそ・ひめ)という不思議な名前に興味を持ち、色々調べてみました。先ず、この姫の出自に関する諸説を記紀に求めておきます。なお、トトヒは或はトトビ、と濁るのかも知れませんが、煩雑を避ける為に以下、主として清音で表記します。
主役の姫の名前が、
と読める表記がなされており、古事記の方では、「ト」が一つ少ないことと、「日」に対応する「ヒ」の音が抜けているのに気がつきます。伝承の違いに依る脱漏なのでしょうが、それは、一方では、原義が忘れられたことを示唆しているように思えます。 百襲、は幾つかの読みが可能ですが、古事記の表記(「母母曾」)に従って、「モモソ」と読まれて来ています。(「百」の訓がモモ、「襲」は熊襲のソ、でもあります)。一方、百を「ホ、(千五百をチイホと読む)」と読む例もあり、それを採ると、古事記とは整合しませんが、「ホソ」となり、十市縣主の祖である大目の娘の名前「細姫」に通じる様に見えます。
倭迹迹日百襲姫は、どう区切って読んだら良いのか。まぁ、「ヤマト」で一つ区切るの は良いでしょうね。 次は、「トトヒ」の3音で一旦区切って良いでしょうが、それを更に区切るとすると、「ト・トヒ」「トト・ヒ」のどちらでしょうか。最初の「ト」で区切ると、この「ト」は「倭」を「ヤマト」と間違いなく読ませる為の、送り仮名でしょうか。そうすると「トビ」が抽出出来るので、「鳥見」「鵄」「登美」などの表記のある、長髓彦がいた地域の名前が浮かび上がってきます。まさか、最初の方の「ト」は「& (and)」の意味ではないでしょうねぇ、(Yamato and Tobi?)冒頭の出自に戻る 「トヒ」とか「トビ」を引っ張り出せると、この姫様の妹の「倭飛羽矢若屋比賣」の「飛」とも整合するのでキレイなのですが、どうでしょう。 それにしても、この妹姫の名前も「倭飛ハヤワカヤ比賣」とすると、孝霊天皇の妃の一人であるとの一説のある、「春日千乳早山香媛」(春日チチ・ハヤマカ媛)、古事記なら、春日千千速眞若比賣(春日チチ・ハヤマワカ比賣)と酷似してないでしょうか。ここの「千乳」は通例に従って「チチ」と読んで置きましたが、これだって、「チチチ」と読むべきなのかも知れない、上記のように「トトト」の例もあることだし。 だからどうした、って? まぁ、ここでも系図の乱れ、というか、人名の伝承にかなりの音の揺れが観察されますねぇ、って事です。だからどうした、って? まぁ、面白いじゃぁありませんか。。。 さて、一方、「トト」と区切らなければならないとしたら、どうなるんでしょう。どうも和語では意味がはかりかねます。アイヌ語なら「母親(千歳方言)、乳房(他の方言)」の意味にとれますから、「国母」的な感覚の命名か、とも思えます。しかし他の部分もアイヌ語で解けないと説得力が今一つですね。 しかし古事記では、夜麻登登母母曾毘賣命、の母親が、意富夜麻登玖迩阿禮比賣命、で、これは、「大倭国を生む」と云う意味で、母子で「国母」のイメージが窺える事にはなります。更に、異母兄(弟?)が、孝元天皇(第8代、大日本根子彦国牽)。出雲神話の国引きを想起させられる名前ですね。
さて、第7代孝霊天皇の娘である「倭迹迹日百襲姫」ですが、第8代孝元、第9代開化、第10代崇神と降って行くと、日本書紀に再度登場します。もう、かなりの年齢でしょう。神浅茅原(カムアサヂハラ)で神憑りします。(崇神7年2月15日)次いで、同年8月7日には、「倭迹速神浅茅原目妙姫」(ヤマト・トハヤ・カムアサヂハラ・マクハシ・ヒメ)たちが夢をみた話があります。
「倭迹速神浅茅原目妙姫」は、「倭迹迹日百襲姫」のこととされています。とすると、最初の3文字「倭迹速」と「倭迹迹」が対応しそうです。「速」と「迹」の字が似ているので誤写の可能性もあるかとも思われますが、この姫の周辺に「早・速」の字の付いた名前も散見されることもあり、誤写とも言い切れません。 それで、「倭迹速」を考えてみます。「疾く」という言葉を介在して「迹」の音と「速」の意味がつながってきます。(上述と類似の指摘になりますが、春日千千速眞若比賣(春日チチ・ハヤマワカ比賣)の「チチハヤ」とここの「(ヤマ)ト・トハヤ」との酷似が注目されます。) 「神浅茅原」は神懸かりした場所に因んで付加された名辞でしょう。後半の「目妙姫」と「百襲姫」の対応を考えてみますと、上にも述べたように、「百襲」は「ホソ」とも読める、「細」は「ホソ」とも「クハシ」とも読める。「妙」は「クハシ」と読んでいる。と言うわけで、どうやら、百襲は「ホソ」と読むべきで「細目」の事の様に思えてきました。 そういえば、この姫様は「ホト」を衝いて亡くなってしまったり(崇神紀10年)、配偶者とされる大物主神は三輪山が根拠地で、古事記の方では活玉依姫が奥さんなのだが、大物主の本性を探ろうとした時に「ヘソ・ヲマ」を針に通して翌朝その麻糸をたどって三輪山に至ります。ここの「ヘソ」を「臍」の意味としますと、古語にはこれを「ホソ」とも云いましたので、「ホト」「ホソ」の類似音に因縁がありそうです。やはり、ホソ姫、と読むのでしょうか。なお、「サ行」と「タ行」が混乱している例は既に幾つか挙げられており(イタサ、イナサ、イササなど)「ホト」と「ホソ」を類字音として観察するには根拠があります。(日本語の s音と t音は共に、ts音に遡れるのではないか、と考えられます。) 更に、元気を出して云うと、「日百襲」の部分は実は「目百襲」で原義は「目細」だったのかなと、別名・別伝の「目妙」から出発して、上記の事どもから推理を進めています。 でも、そうすると、「迹日」とつなげて「鳥見」などの地名と関連づける事が出来なく なってしまいますが。。。。
引き続き、崇神7年8月7日の記事に出てくる、「倭迹速神浅茅原目妙姫」(ヤマト・トハヤ・カムアサヂハラ・マクハシ・ヒメ)の最初の3文字「倭迹速」に就いて調べておりました。 即ち上記で、「倭迹速」と、倭迹迹日百襲姫、の最初の3文字「倭迹迹」とから、「迹」と「速」が同じらしい、としました。それを、「速」の意味から→「疾く」、「疾く」の音から→「迹」、と関連づけてみましたが、平凡社世界大百科辞典の「カナ」の項に出ている「上代の表音文字一覧表」を見ていたら、「速」が「甲類のト」として、「刀、斗」などと共にリストされてました。使用例は万葉集にあり、日本書紀には無いようです。(万葉集 #1718に「阿速之水門、あどのみなと」と使われている。) さて、こうなると面白いのは、「速」は甲類のト、「迹」は乙類のト、であり、一般に甲類と乙類は一語の中には共存しない筈、なので、これは何か説明を付けねばなりません。
例に依って(?)アイヌ語を調べておりました。以前に「ト」は「日」の意味を意識していました。この時、実は、
というストーリーを考えていました。(南洋系の言語で、複数を表すときに、同語を繰り返す、という習慣があり、アイヌ語が南洋系の言語でありそう、との説から。但し、実際にアイヌ語で複数を作るのに、繰り返しをやるのかは不明でした。) ところが、「2」は tu、「日」は to、なのです。つまり、アイヌ語の「2日」を意味する tu-toを、和語の音韻習慣で捉えようとすると、「トゥト」と書く習慣が無かった当時、甲類乙類の違いを援用したのではないか、と推理しました。(念のため申し添えますが、「ツ」は tsu であり、tu ではないので「津、都」などの字は使わなかったのだ、と。即ち、tu-toを「迹速」と表記したのが原型で、甲類乙類が乱れるに従い「迹迹」や「登登」という具合に、乙類に合流してしまったのではないでしょうか。) そうすると、「迹迹日」の「日」は、前述のように「目」などではなく、「日」で正し く、そして、その読みは「ヒ」かも知れないし「カ」かも知れない、と気がつきました。(五十日を、イカ、と読む例などから、可能ではあります。) そうすると、「迹迹日」は「トゥト」を意訳して「2日・日」と捉え、それを「明日・カ」、「アスカ」と翻訳出来そうです。つまり、試論3:の特例、とは外国語(?)の翻字、という特例ではないか、と思えてきました。そうすると、「飛鳥」も「トト」とか「トトリ」≒「トトビ」≒「トトヒ」を写したもので原義が「2日・日」(ここの「日」は「ヒ」として)に遡れるのではないでしょうか。だから、「飛鳥」と書いて「アスカ」と読むのだ、と。 オリジナルで、この地域を、tu-to-ka と呼んだのか、tu-to-hi と云ったのか、最後の音節に関してもう少し研究しないといけませんが、なんか、とっかかりが付いたような気がしています。また、「一昨日」の「おととひ」「おとつひ」も二日前、ですから関係ありそうに思われます。 トトビ≒トトリは、一方、オモノキ考にも上げた、オモノキ←母の木←「トト・ニ」が「トト・リ」とも絡んできて、面白いことになっております。 ただ、英語の tomorrow は、アイヌ語では nisatta というので、その点でも、果たして、two days が tomorrow の意味を持っていたか、せめて the second day の意味でもあったか、との疑問も残ります。 この路線をチャント進めて行くと、何故、飛鳥(トトリがトトビ・トトカなどと読み替えられて)を明日香(アスカ)と読むに至ったのか、が説明できそうに思えませんか? 色々試行錯誤してますんで、自説(全部仮説です)相互に矛盾と云うか、両立はしないものが有るのは承知しております。あしからず。 「迹速」が「迹迹」に対応することから、これらのオリジナルな読みは tu-to ではなかったのだろうか、そして、その意味は「明日」であったのではなかろうか、と上に書きました。 そしたら、日本語にも「つと」と云う言葉があるんですね。正確には「語根」とすべきでしょうが、「つとに(朝早く)」「つとめて(翌朝、早朝)」「務める」などでは「つと」が「同根」とあります。(三省堂、新明解 古語辞典) tu-to が「翌朝・明朝」の意味を持った和語に姿を変えているように窺えます。「ツ・ト考」もご覧ください。 今までも古代の人名・地名等の一部がアイヌ語起源ではないか、との半信半疑で調べて いるのですが、今度のはチョット手ごたえが感じられます。(^_^) おまけ、ですが、応神紀19年条に吉野の国樔の話が出てます。そこに、彼らが蛙の煮たものを美味とする、それを「毛彌」と云う、とあります。「モミ」は mo-mim =小さい・肉、かも知れないなぁ、と(鹿や熊の肉に較べれば蛙の肉は小さい)と、ほくそえんで居ります。応神朝に記録された「非和語」の言語資料として貴重だと思われます。 |
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