このサイトでは、アイヌ語を援用することで、記紀・風土記などの固有名詞や伝承の理解が進む〜広がることを示してきた。それに基づいて、アイヌ語の祖先語で語られていたことがら(「縄文伝承」と名付けた)が和語に翻訳されて伝承が継続し、結果として記紀・風土記に記録されるに至った、と想定することにつながった。『古代史料に見る縄文伝承』に詳述した。
次いで、我が国に行われているもう一つの言語、琉球語、に手をつけ始めた。既に幾つかの事例において琉球語が日本古語の理解を進め、幅を広げることの実感を得たので、『初期天皇后妃の謎』にても一部発表し、本サイトでも下記数編をあげてきた。
- 「しけしき小屋」の語義:神武天皇とイスケヨリヒメが結ばれたところは「汚い、荒れた」小屋だったのか?
- 「おしてる難波」の語義:照り輝く祭りの庭、であろう。
- 布忍神社:では、主として「忍」(おし)が「(日月の)照る、輝く」を意味することを論じた。
- 国懸・日前神宮:では「懸す」(かかす)は「輝かす」であり、(日月の)照輝、の意味として考えを進めた。
- おすひ飯高:では、この枕詞の意味を考え、飯高は日高であろう、と考えを進めることができた。
- 天照の周辺:では従来「日、太陽」との関連が考えられなかった名称を琉球語が教えるところに従って再考してみる提案をしている。
- 思金神の語義:では、琉球語では、「思」「金」が童名に使われる敬称接辞であることに注目した。
- 風木津別忍男の語義:では、この神の性格を「風」の字に惑わされてか「風」の神としているが、本来は「太陽(シナ)」に関わる神名だったのではないか、そうだとしたら「忍男」が相応しい名前となる、と指摘した。また、加世智神社の名義も「かぜ・ち」と解くことの不都合を見て「か・せぢ」と切り分けてみる試みもした。
これらを通じて、既に定説になっているように、琉球語と日本語が同系語であることを体感した。また、両語の祖語、日琉祖語、として弥生語(仮称)という言語体系を想定することが妥当である、とますます思うに至った。
本サイトでは1998に作った模式図を提示しているが、日本語、琉球語、アイヌ語の相対関係は、実にこの模式図のように観じられる。
すなわち、琉球語と日本語はある祖語(日琉祖語、また、弥生語と名付け得る)から派生した、と考えるわけだ。琉球語と日本語それぞれは、弥生語から継承した諸要素を含み、時間の経過に伴って廃れた要素もあり(何が廃れたかは日琉で異なろう)、新たに加わった要素(何が加わったかは日琉で異なろう)も含んで、今の姿になっているものだ。
つまり、日本語では時間の経過に伴って廃れた語義や用法が琉球語に残っている可能性が考えられる(他の可能性も色々あろうが)。
上記サイトで発表したように、
- オシが(日月が)照る、輝く、を意味する;
- シノ、カハも太陽を意味する;
- カガスが輝かす、を意味する;
などが応用範囲の広そうな「琉球語を援用して日本古語の語義を探る」よすがである。
参考文献リスト
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