縄文地名解への自戒

orig:2004/02/06
rev1: 2004/02/07 言い回し改訂・リンク付け
rev2: 2004/02/08 少しずつ増殖中
rev2: 2004/05/25 追記「阿哲郡」

地名の語源探索は面白い:8世紀に編纂された『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などでも、どうやら当時既に忘れられてしまっている地名の語源をおもしろおかしく伝えている。採るに足らない、とも言えようが、上代人がそのような語呂合わせをした、という事実は有用な情報だ。

地名の語源探索は面白い:アイヌ語を少し勉強したものとしては、日本語では意味不明な地名をアイヌ語で考えてみる、というのは殆ど私の習慣のようになってきた。

しかし、発表できるようなものは限られてくる。単なる語呂合わせでは無益だからだ。 単独の、孤立した語呂合わせ(例えば「富士山」の語源はアイヌ語 huchi=姥だ! おわり!)ではなく、なんらかの形で有機的なつながりをもつ複数の事象が解けている、ということが説得性を高めるために必要だろう。

自分がこのサイトや著書で発表してきた地名解の有効さ、とでもいうことを再点検してみるつもりで、自分はどういうアプローチをしているのか、自己検証してみようと思う。

対象とする地名:
  • 端的に言って縄文地名の候補を考えるときに「東京」という地名は対象にする訳がない。何故か。
  • 明治初頭に付けられた名前であることが判っているからだ。従って、当然、縄文地名たり得ない。これは「公理」のレベルに捉えている。
  • 別の観点からは、東京を「とうきょう」と読むことからこれは漢語であり、縄文時代の地名ではない、とする。これは「定理」のレベルで捉えている。定理なら証明しろ、と云われるかもしれないが、漢語は縄文時代の日本列島に行われていた言語ではない、という前提に立っている。それが否定されれば、この定理も崩れるが、まず、心配ないだろう。
  • 更に云えば、「とう」という二重母音、「きょう」という拗音は上代日本語にはなかった、ということからも「とうきょう」を縄文地名の残照か、と考えることは大いに躊躇われるはずだ。
  • 同様に、江戸時代に命名された地名もあろう。鎌倉時代以降の地名もあろう。それらは縄文地名の候補たり得ない。。。と思考を遡らせて行く。しかし、例えば鎌倉時代の命名である、との決定はどうやるか。
  • ここで、自分は「安全サイド」を採ることにしていることに気が付く。つまり、鎌倉時代に記録された地名だが、それ以前には記録がないものは対象としない、ということだ。記録が遅れただけで古くからあった地名「かもしれない」。しかし、そうであるとも言えない。対象にしないことで自説の「安全性」を高めるのだ。
  • そうやって行くと、さて、地名の一番古い記録は8世紀のものが殆どだ。(魏志倭人伝の地名も興味あるテーマだが、ちょっと別種の資料、の感を免れない)
  • 上のような「安全運転」で行くなら、奈良時代の記録は奈良時代の地名の記録であって、縄文地名である保証が皆無だから使えない、ということになる。が、そうしてしまっては、もう研究対象が無くなってしまう。
  • それでは困る・・・のであくまでも次善策として、奈良時代に記録された地名なら、縄文地名の「候補」にはなりうる、という前提を作るまでだ。平安時代や江戸時代の記録が初見であるような地名は、これらより「危険」だ、という線引きである。五十歩百歩を同じと考えるか(逃げたか逃げなかったか、1か0か)ではなく、アナログに危険度の高いものを棄てて、安全度の高いものに絞る、というアプローチだ。
  • 同様に、現在地名の語源探求も面白いが、縄文地名として捉えるには余りに「危険」が大きい、というのが私の枠組みだ。
アイヌ語で考えるとき:
  • まず、辞典に載っている語とその意味から逸脱しない。
  • この縛りは当然のことだと思うのだが、現実にはアイヌ語解とされているものに、知里真志保さん云うところの「幽霊アイヌ語」が散見されるのだ。アイヌ語に堪能な人を対象に精度の高いフィールドワークしていない限り、辞書からの逸脱は許されまい。
  • しかし自分でも造語をする場合はある。その場合には実在する類例に照らして語構造を「応用」するのである。決して「創造」してはなるまい、と思う。
  • 現実にアイヌ語地名に使われている語形を最大に尊重する。仮にアイヌ語を「当てはめる」ことが出来ても文法に合ってなかったり、地名として使われていない句、節では説得力が落ちる。
  • この視点からは、兎砥川を isopo-ruy-nay と解いた事例では北海道の磯分内という実例を参照することが出来たため自分でも確信の度合いが高まったのであった。
  • アイヌ語地名の研究家、山田秀三さん、がアイヌ語地名は地形を表現したものが多い、とされ、北海道、東北を広く踏査されて、それぞれの地名がアイヌ語に因っていることを決定してこられた。
  • その御努力には頭が下がるのみだが、我々がその後塵を拝するにあたり、地名が地形に基づいて命名されて以降、地形が変わったことはないのか、という心配をすべきだろう。
  • 北海道の蘭越の語源が ranko-us-i(桂・のある・ところ)であろうことは大抵見当がつく。山田さんはその場に行かれて、確かに桂の木が植わっていることを確認された、という。そのご尽力は多とするものの、何時その地名がつけられたのか、そのときに、そこにカツラの木があったのか、というと疑問が残るのだ。
確信に至るとき:
記紀・風土記の地名(古地名)をアイヌ語で考えてみて、きっとそうに違いない、と確信に至るのはどんなときか。

確信の度合いを高めるには、単独の、孤立した語呂合わせではなく、なんらかの形で有機的なつながりをもつ複数の事象が解けている、ことを示す必要があろう。具体的には下記のいろいろな組み合わせを使う。

  • 音と意味が相通している:
    「富士山の語源はhuchiだ。」とだけ云う「アイヌ語解」が多いが、「何故」を有効に説明してくれるものに出会ったことがない。
    「淀川の樟葉はアイヌ語のkusa/kuspa(=〜を船で川を渡す)が源らしい。何故なら樟葉とkusa/kuspaは音が近く、更に、『古事記』では『久須婆の度(渡、のこと)』と書いてあり、樟葉は渡し場の地名としてアイヌ語解と整合するからだ」。こういう根拠が必要だろう。それも、根拠は、一つだけよりは幾つか提示できればその分信頼度の高い提案になるだろう。
  • 古地名の音をアイヌ語で考えたら、まつわる伝承と符合する:
    こういうことが見つかるとかなり信頼度の高い提案に結びつく。私が見つけた例では兎砥川、川上部、裸伴 がある。
  • 周辺にアイヌ語解が相応しい事例が複数ある:
    これも仮説のアイヌ語解が「単独で孤立」したものでなく、有機的につながる複数の事例を提示する方法となろう。私が見つけた例では、上と同じところにリンクするが、日根、男里、五瀬、五十にしき、石上がある。
  • 他にも応用、連携が効く:
    提案しているアイヌ語解が有効であるならば、他にも応用が効くのではないか。「兎砥川、裸伴」(iso イソ 五十 幸 兎 裸兎)などから因幡の白兎(ワニ 鯨 沖 三島)への応用した事例がある。
  • 「異名」がある場合:
    なかなかこういう事例は少ないが、同一事象に対する異なる表現が、アイヌ語で解すれば共通の意味になる(上記、川上部と裸伴の例)というのは、必ずや原語はアイヌ語の祖先語であり、それを日本語に翻訳したものであろう、という仮説に強い確信を持つことができる。
  • 伝承を構成する単語をアイヌ語に訳してみて、同音反復など音調効果のある語で構成されている、という場合も信頼度が高いであろう。日本語では確かに話の筋は分かるが「語り」に求められる音調の良さはアイヌ語で考えた方が勝る、という場合である。「アイヌ文学の特徴」に示した「杉鉾神社の伝承」また、「オノコロ島・考」の例に顕著である。こういう事例では、原文はアイヌ語の祖先語で語られていて、それが日本語に翻訳されて我々に伝わっているのだ、と見るのが良さそうだ。
いわずもがな:
  • 上記のように、入手可能な最古の記録として8世紀の書物に記された地名を対象としているが、やむを得ず(?)それよりは新しいであろう地名も考えてみることがある。
  • その場合には、当然、旧かなづかい(かなづかひ?)で考察をスタートすべきだし、また、上代語の特徴についてもチェックが必要だ。二重母音や、奈良朝八母音(甲乙)に対する感性などが必要だ。
  • どこかで「相生」(あいおい)はアイヌ語 ay-o-i である、として、縄文地名だ、と主張しているものを見た。二重母音を嫌った日本上代語では、ay-o-iを導入するにあたり「あいおい」という風に四重母音に取ることはまず無い。重母音は何らかの変形を受けて、例えば「あよひ、あよゐ」とかになった筈である。
  • 「あいおい」という地名がアイヌ語 ay-o-i を起源とするなら、それが導入(借用)された時期は、日本語側で「あいおい」という多重母音が許される、使われるようになって以降のこと、となる。
  • 地名の古さが検討されていない、そして、日本語上代語への視野が欠けた説と言えよう。

(2004/05/25追記):
地名の古さが検討されていない例をもう一つ挙げれば、岡山県にある「阿哲郡」の「阿哲」をアイヌ語で解いたものがある。そのアイヌ語自体もそのような語構成があり得るのか、良く判らないが、それよりもなによりも「阿哲」という郡名は明治に「哲多郡」と「阿賀郡」を併せて作られたものだ。そのような地名をアイヌ語で解いて縄文地名だ、というのは全く論外である。

地名の自由度
不満足なアイヌ語地名解
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