地名説話の自由度

orig:2003/06/18


古事記、日本書紀、風土記に見られる地名説話には、たわいのないものが多い、つまり、当時のこじつけが記録されている。

地名の起源としての信頼性は乏しいと思うが、そういうこじつけがされていた、ということは紛れもない事実であろう。つまり、こじつけが成立するような言語感覚があった、という意味で重要である。

ここでは、その言語感覚、とはどのようなものであったかを考えてみようと思う。


播磨風土記託賀郡都麻里:この村で播磨刀賣が「此水有味(此の水うまし)」と言ったので「都麻(つま)」と言う。コノミヅウマシ
コノミヅマシ
   ↓ ↓
   ツ マ
ミヅとウマシの二語の語単位ではなく、途中の音を拾っている。かなり特異な例かと思われる。
播磨風土記託賀郡都太岐:讃伎日子が負けて還るとき「我甚怯哉(我は甚だツタナキかも)」と言ったので「都太岐(ツタキ)」と言う。ツタナキ→ツタキ と音を省いている。(ツタキという地名を説明するのに、一音多いツタナキで説明している。)
常陸風土記総記:常陸の国名に関して「衣袖漬国(ころもでヒタチのくに)」と説明する漬は「ヒタス」か「ヒツ」であり「ヒタチ」は出てこない。語呂合わせでは、この程度の揺れが許された、と考え得る。なお、この用例から、漬に「ヒタツ」という読みがあったのか、と推定することも不可能ではない(時代別国語大辞典上代編)
常陸風土記新治郡:「即穿新井(新しい井戸を掘った)」ので郡名とした掘ることを ハル という音で説明している。開墾することなら ハル で無理がないのに、井戸に関連づけたかったのだろう。
常陸風土記久慈郡:鯨に似た形の丘があるので「久慈」となづけたクヂラ→クジ 「ヂ」と「ジ」の通用;一音脱落(「久慈」の方から見れば一音追加されて説明されている)
豊後風土記日田郡:久津媛の郡を訛って日田の郡と言うヒサヅ と ヒダ・・・かなり無理しているが、サ行とタ行が交替することは良くある。人名から一音脱落して地名とした、という説明になっている。
豊後風土記球覃郷:臭泉(クサイヅミ)→クタミ。これもサ行・タ行交替の例にもなる。また、二重母音を排して地名としていることもうかがえる。
豊後風土記網磯野(アミシノ):大囂野(アナミスノ)→アミシノ。「ナ」の脱落。
豊後風土記伊美郷:国見→伊美イミはクニミの訛り、とは可成りの無理に見える。しかし「イ」(二人称代名詞・卑しめて言う時に使う)があり、奈良朝以前に三人称的にでも、暗黙に既定されている主語を強調しているのかも知れない。アイヌ語の i に似た機能か? inkar>i-nukar もの・を見る(田村すず子)
崇神10年9月紀:那羅山はフミナラスした所だから昔の人の創作であろう
崇神10年9月紀:挑(イドミ)川→泉(イヅミ)川昔の人の創作であろう
崇神10年9月紀:糞が袴から漏れた→クソバカマ→樟葉昔の人の創作であろう
神武天皇紀:金鵄にちなんで鵄(トビ)村→鳥見(トミ)村バ行とマ行交替の例
景行記:懸木(サガリキ)→相楽(サガラカ)リキ→ラカ程度の違いなら洒落になるという例。意味の区切りポイントもずれている。サガリ・キ サガ・ラカ
応神記:血浦(チウラ)→都奴賀(ツヌガ)同音は一つもない。チウラという読みが悪いのか。血の浦でチヌラなら、まだツヌガに近い。チがツになるとは、東北訛りの片鱗か?(チクブシマにあるツクブスマ神社、も東北訛りに見える)

昔の人が地名を説明するのに、どのようなこじつけテクニックを使ったか、を上に概観した。抽象してみると:

  • 音の追加・脱落
  • 子音の変化(タ行←→サ行。バ行←→マ行。他にもあろう)
  • 母音の変化(ホル ハル。他にもあろう)
  • 意味の切れ目を無視する(ミヅウマシ→ツマ)
  • イ列とウ列の交替(所謂東北訛り)

    のごとくとなる。


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