地名関係 |
『三国史記』の地名に関わる部分を局所的に紹介する。ベースは金思Y 訳『三国史記』(六興出版)である。 ●『三国史記』は西暦1145に、「金富軾(キム・フ・シク)が王命を奉じて撰進した」「朝鮮に現存する三国・新羅統一期を通じての最古の正史である。」(金思Y)
★巻34:新羅が徐々に領土を拡大するにあたり初期の小国を合併して行く過程での地名の変化も記している。典型的には「○○はもと××である。景徳王が改名した。今(1145頃)は△△という」という書法である。旧新羅地名を新新羅地名に改訂したものなのか、旧地名が高句麗や百済の地名なのか、精査が必要。 ★巻35:典型的には「○○はもと高句麗の××で景徳王が改名した。今(1145頃)△△」(原文:○○。本高句麗××。景徳王改名。今△△。)と記されている。つまり高句麗地名の新羅化の記事である。 ★巻36:「○○はもと百済の××で景徳王が改名した。今(1145頃)△△」というのが典型的な記法である。つまり百済地名の新羅化の記述である。 ★巻37は前半が「高句麗」というサブタイトルで高句麗地名リストされていて、典型的には「○○(××ともいう)」(原文:○○(一云××))というスタイルで書かれている。この記述では○○が高句麗地名ではありそうだが、カッコ内の「××」が高句麗地名の別称なのか、新羅地名なのか不安があったので調べてみた。別途考察参照 その結果、2、3不明なものもあったが、カッコ内は高句麗側としての別称、別表記、である、と考えて良さそうだ。傾向としては「○○」の読みを「××」で与えているように見受けられるものが多い。 後半が「百済」とサブタイトルされ、同様な記述方法である。 この巻37に出てくる地名と、巻35と巻36に出てくる地名との間には出入りがある。 巻37の最後には「三国有名未詳地分」というタイトルで未詳地名がリストされている。(これを精査して『三国史記』の原典を追求した 高寛敏著『三国史記の原典的研究』(雄山閣)がある。)鴨緑江以北の地名、(熊津)都督府13縣、ほかが収載されている。 本コーナーでは下記のデータを表形式で掲げてある。 ★巻34 新羅地名 ★巻35 高句麗地名 ★巻36 百済地名 巻37記事を併記 ★巻37 高句麗地名の部 ★巻37 百済地名の部 ★巻37 末尾部分 上記データを一つのファイルにまとめたもの「統合ファイル」も上げた。これは検索を一発で行うのに便利であるからである。コメントなどの追補もここで行うツモリだ。
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