隼人に関する情報集・その2
(二次的資料)
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orig: 98/04/03
ここでは隼人に関する二次的な情報をまとめて置きます。

平凡社世界大百科辞典
「はやと」
古代における南九州の住民。熊襲(くまそ)の中心地が九州南西部であるのに対して、隼人の居住地はおもに大隅半島方面らしく、確かな文献に現れる年代も熊襲よりややのちである。其の一部は早くから中央に移されて、大和朝廷の宮垣の番人に使われていたらしいが、その居住地では713年(和銅6)に大隅国が新設されたのちも反乱があり、721年(養老5)に大伴旅人の征討によってほぼ完全に中央に服属した。しかし班田収受はなお8世紀末まで実施されなかった。(関晃)
広辞苑第3版
「はやと」→「ハヤヒト」
ハヤヒトの約。と言うわけで「ハヤヒト」の項目:古代の九州南部に住み、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した種族。はいと。はやと。
広辞苑第3版
「はやとまい」
隼人舞、日本古代の舞踊の一。大隅・薩摩地方の隼人の行う風俗歌舞。その祖先火照命が海水に溺れ苦しんださまを演ずるという。{小生注記:日本書紀の記述:「足をあげて踏み鳴らして苦しんだ様子の真似をしてみせた。はじめ潮が足をひたしたときは足占(つま先立ち)をし、潮が膝まで及んだときには足を上げ、股まで来たときは走り回り、腰まで来たときは腰をなで、腋まで来たときには手を胸に置き、頚まで来たときはてをあげて飄掌し(手をひらひら振る)た。それ以来今にいたるまで、この子孫である隼人達は一度もやまずにこの所作を繰り返している。」
日本史辞典(角川第2版)
「はやと」
古代における南九州の住民。主として大隅・薩摩地方に居住し、容易に大和朝廷に服属しなかったため異民視された。一部は早くから中央に移されて土着し、大和朝廷の儀式の際の歌舞や宮門の警衛などに従事していた。令制では衛門府に隼人司がおかれ、中央の隼人を統率した。また薩摩・大隅の隼人は6年交代で朝廷に参勤した。8Cはじめの反乱後は完全に中央に服属。{小生注記:721年の隼人の反乱、740年の藤原広嗣の乱への加担}
古代の嶋根と南九州
(島根県立八雲立つ風土記の丘資料館発行)
「隼人の楯」
奈良の平城京の正月の儀式では、正門である朱雀門に騎兵や隼人、蝦夷が整列したと言われるが、隼人の人々はまた、延喜式に「群官初入隼人発声、立定乃止、進於楯前、拍手歌舞」とあるように、声を発し、手拍子を打ち、楯の前で隼人舞を舞った。この楯は平城京出土(した。){小生注記:この記述は出土したものを元に復元した模型の写真と島根県西川津遺跡出土の楯の写真を並べたページに書いてある。}
古代の嶋根と南九州
隼人塚
鹿児島県隼人町にある。景行天皇・仲哀天皇の時代に征伐された熊襲の死霊をなぐさめ、その災いをまぬがれるために和同元年(708)にこれを建て供養したと言い伝えられている。
戦後50年古代史発掘総まくり
(朝日新聞社)
隼人の楯(p40-42)
和泉黄金塚古墳(景初3年銘の鏡でも有名だが)楯が出た(正確には楯の漆の膜が出た。)森浩一さんの少年時代(1945/7)の発見で末永雅雄さんと一緒に掘り出した(1945/11)。長さ157cm、上部の幅55cm、下部の幅50cm。上下左右の縁に鋸歯状文。赤黒2色。中央部に3個の巴形銅器(直径5.8cm)が着装されていた。森さんは墨で写し取った。末永さんは写真を撮ったが写ってなかった。後に平城京で隼人の楯が出た。大きさ一致した。
神社啓蒙
寛文年間(1661-1673)
成立
「問う。雲州(出雲)の諸社、木偶(でく)人を造りて隼人と称す。国家、まさに凶災有らんとすれば、則ち、或はヒサシの下に落とし、或は、他方に去らしむ。これ何の遺風か。(答えて)曰く神紀(日本書紀神代紀)に曰く、火酢芹の命の苗裔、もろもろの隼人等は今に至るに、天皇の宮墻を離れず吠え狗に代りてつかまつり奉るなり。いわにゃ、佐田社(佐田神社)の北殿、ニニギの尊なり。則ち、隼人を以って護衛を為すの儀、よんどころ有らんか。その宮墻を去り、ヒサシの下に転落するは、監衛の頼り無きを罰するのしるしなり」(孫引きfrom田中勝也著「サンカ研究」(新泉社)p222)参照:赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の語義探求
天皇の影法師
猪瀬直樹著
・新潮文庫400
京都の八瀬の人は昔から天皇崩御の際に棺を担ぐことになっている。大正天皇葬儀の際も(紆余曲折はあったが)そうなった。隼人との関連に就いて著者は触れていない。
京都府綴喜郡田辺町大住
・月読神社
隼人舞伝承地(月読神社)・九州南部の大隅隼人が奈良時代、大住に移住した。この大住隼人の郷土の民族芸能の隼人舞をこの月読神社に奉納して舞い伝えて来た。」(以下略)
京都府綴喜郡田辺町大住
・月読神社
・社記附記
(抜粋) 「天照大御神の次に生まれた月讀尊は各地で祀(まつ)られ式内社でも10社ほどあり、最も有名なのは伊勢の両宮付近に祀る月讀宮である。京都の松尾神社の南にある月讀神社、鹿児島県の西桜島の月讀神社、大隅の串良町の月讀神社も有名である。月讀神の信仰は特に薩隅(薩摩と大隅)によって伝承された。月神を祀る隼人の神楽が隼人猿楽であり、それが南山城(みなみ・やましろ=南・京都)の大住郷に伝来した事から能楽が発祥した。」 上記中、( )内は、小生の注記です。


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