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日本書紀 (本文) | ニニギのみこと*コノハナサクヤ姫の長男である「火蘭降命(ほノすそりノみこと)」を「隼人の始祖である」としている。そして彼は「海幸」として伝えられ、「山幸=彦火火出見尊」との争いに負けて「今後は家来となって俳優(わざおぎ)の民として仕える」ことになる。そして彼、海幸は、「吾田君小橋たちの祖先である」 |
日本書紀 (第2の一書) | 「これからあなたに仕えて奴隷になろう」「これから先、子々孫々まで末永くあなたの俳優(一説には狗の真似をする者を言う)として仕えます。」「火酢芹命(ほのすせり)の子孫である隼人が今に至るまで天皇の宮墻の傍をはなれずに狗の吠えるまねをして奉仕する由緒である」 |
日本書紀 (第4の一書) | 「足をあげて踏み鳴らして苦しんだ様子の真似をしてみせた。はじめ潮が足をひたしたときは足占(つま先立ち)をし、潮が膝まで及んだときには足を上げ、股まで来たときは走り回り、腰まで来たときは腰をなで、腋まで来たときには手を胸に置き、頚まで来たときはてをあげて飄掌し(手をひらひら振る)た。それ以来今にいたるまで、この子孫である隼人達は一度もやまずにこの所作を繰り返している。」 |
日本書紀 (履中天皇紀) | 仲皇子には「刺領布(さしひれ)」という隼人の近習がいて仕えていた。彼は政争の際だまされて殺された。古事記では「ソバカリ」と言う名前で同様の話が伝わっている。(下記) |
清寧天皇紀 元年10月 | 先の雄略天皇の葬儀に際し、「隼人、昼夜、陵の側に哀号する」 |
清寧天皇紀 4年8月 | 「天皇親しく囚徒を録する。この日、蝦夷・隼人並びに内付する。」 |
欽明紀 元年3月 | 「蝦夷・隼人並びに衆を率いて帰付する。」 |
敏達紀 14年8月 | 天皇崩御に際し、「隼人をしてモガリの庭を防御させた」 |
斎明紀 元年是歳 | 「蝦夷・隼人、衆を率いて内属する。」 |
天武紀 11年7月 | 「隼人多く来て方物を貢ぐ。大隅の隼人と薩摩の隼人が相撲をとる。大隅の隼人が勝った。(別の日)隼人らを飛鳥寺の西で饗応する。」 |
持統紀 元年5月 | 天武天皇の葬儀にあたり、「隼人の大隅・阿多の魁師、各己が衆を率いて(領いて)しのびごとを奉る。同7月、隼人の大隅・阿多の魁師ら337人に賞を賜う。」 |
持統紀 9年5月 | 「隼人(を)大隅(で)饗応する。隼人の相撲を西の槻の下で見る。」 |
古事記 神代 | 方産時以火著其殿而産也。故其火盛燒時所生之子名。火照命【此者隼人阿多君之祖】次生子名。火須勢理命【須勢理三字以音】次生子御名。火遠理命。亦名天津日高日子穗穗手見命【三柱】故火照命者爲海佐知 |
履中天皇記 (古事記) | 欺所近習墨江中王之隼人。名曾婆加理云。若汝從吾言者。吾爲天皇。汝作大臣。治天下那何。曾婆訶理答白隨命。爾多祿給其隼人曰。然者殺汝王也。於是曾婆訶理竊伺己王入厠。以矛刺而殺也。故率曾婆訶理上幸於倭之時。到大坂山口。以爲。曾婆訶理爲吾雖有大功。既殺己君是不義。然不賽其功。可謂無信。既行其信。還惶其情。故雖報其功。滅其正身。是以詔曾婆訶理。今日留此間而。先給大臣位。明日上幸。留其山口。即造假宮。忽爲豐樂。乃於其隼人賜大臣位百官令拜。隼人歡喜。以爲遂志。爾詔其隼人。今日與大臣飮同盞酒。共飮之時。隱面大銃。盛其進酒。於是王子先飮。隼人後飮。故其隼人飮時。大鋺覆面。爾取出置席下之剣、斬其隼人頚。 |
肥前風土記 ・松浦郡 ・値嘉郷 | 「・・・この嶋の白水郎は容貌、隼人に似て常に騎射を好み、其の言語は俗人と異なる。」 |
肥前風土記 ・高来郡 ・土歯池 | 「俗、比遅波と為す。・・・土人の辞に縁りて名づけて土歯(ひじは)池という。」(俗とか土人が隼人のことであるか否かは不明。)参照:肥前風土記 |
大隅風土記 (逸文) 串卜郷 | 「髪梳は隼人の俗語で久西良(くしら)と言う。」 |
大隅風土記 (逸文) 必志里 | 「海の中の州は隼人俗語で必志(ひし)と言う。」アイヌ語の pis=浜が同源か、との説も散見される。 |
大隅風土記 (逸文) 耆小神 | 「大隅国には夏より秋に至るまで、シラミの子多くして、食い殺されるものあり。これを風土記に言えるには、沙虱(しらみ)の二字を訓を耆小神(キサシム)と注せり。」 村山七郎はアイヌ語 ki (頭虱、頭しらみ)、rasi (虱、但し虱の卵が原意ではなかったろうか、とする)がオーストロネシア起源の単語ではないかと見ている。日本語方言でもキサジ、キラジ、キラズ、キラザが虱の卵を意味する。キ・サジの前半が虱、後半が卵、ということになる。 |