本当にヒミコと読むのか 補追1と補追2を付属させました。2000-03-01 たけさんの「ひみほ論」へのリンクです。なかなか力強い! 99/12/01 Rosetta Stoneさんは「ぴみを」説(2009/12/06追記) |
orig : 97/12/12
上古音なら、pieg mier hag
確かに、日本では後代「呼」を「コ」と発音するようになったようですが、彼の国では、上表のように、ハ→ホ→フ→フ、と変遷して来たとされます。現代北京語もフーに近い音です。
そして、再確認しておきましょう、即ち、魏志倭人伝は3世紀の中国の人が、中国の人に倭人のことを伝えるために書いたものだ、と言うことです。ですから、その書が書かれた後に、どう発音するようになったか、とか、ましてや、その後日本でどう発音されたか、というのは、卑弥呼の呼をどう読むべきかとは全く関係がありません。
仮に倭人がヒミコと言ったとすれば、当時の中国人(魏の役人?)がどう漢字表記をしたでしょうか、別稿で論じたように、泄謨觚とか柄渠觚で使われた、「觚」の字、或いは、狗古智卑狗で使われた「古」の字を使えば良いわけです。 まぁ、前者は役人の名前に使ったし、後者は敵の名前だから、と遠慮したんでしょうか。(んなら、「卑」なんて使うなよなぁ)
ヒミホじゃなかったんでしょうか。
そして、ここから、語義を探すべきでしょう。「日神子、日御子、日巫女」が思い付かれるので無理矢理「ヒミコ」と読んだのでは思考の方向が逆のように思われます。
して、しからば、ヒミホの意味は,となると、なかなか結論には至りませんが、こんな名前が日本史にあるのは指摘しておきましょう。日本書紀神代下に出てくる「御穂津姫」です。「みほつ・ひめ」と読みます。ここに「ヒミホ」の「ミホ」があります。高皇産霊尊(たかみむすび・の・みこと)の娘で、大国主退陣に際して大物主に娶わされています。
卑弥呼には夫婿(正しくは「土」へん)が居なかったという魏志倭人伝の伝えがありますので、大物主なる旦那がいたことになる「御穂津姫」自身を卑弥呼に比定するのは気が早すぎますが、「おと(音)」として「ミホ」の音がここにある、ということだけは指摘しておきたいと思います。
大物主の奥サンというと、ヤマトトトビモモソ姫もそうですね。卑弥呼を箸墓の主であるこの姫様に比定する考えもあるようで、ヤマトト・・姫=ミホツ姫=卑弥呼、だったりすると面白くはあるのですが。。。。
なお、似た名前は出雲風土記(出雲郡条)にもあります。そこでは、奴奈宜波比賣(ぬな川姫)と所造天下大神(大国主)との間に生まれた、「御穂須須美命」(みほ・すすみ・の・みこと)として出てきます。こちらは大国主の子、且つ男性、であり、御穂津姫の話とは食い違っています。或いは、ぬな川姫=御穂津姫、で彼女と大物主=大国主の子なのでしょうか。 ???
メモ:「ミホ」の漢字表記は、御穂、美穂、三保、美浦なんかが有ります。
rev :2000/03/01
魏志倭人伝の倭人名・倭国名と思われる固有名詞に使われている漢字の上古音・中古音・中世音・現代音リストを作り、眺めております。(藤堂明保編「漢和大字典」学習研究社、から)。随時ご覧ください。
このリストを参照して、卑弥呼、の読みを調べてみたいと思います。 早速、同リストから、拾ってきますと、
卑 pieg pie pi ...pəi ヒ甲 彌 mier mie mi mi ミ甲 呼 hag ho hu hu ホ、でしょう
中古音なら、pie mie ho
つまり、ヒミ、までは良いとしても、最後の「呼」を「コ」と捉えるのはどうしてでしょう? 通説の通り「日神子、日御子、日巫女」なんかの都合の良い読みが「近く」にあったので語呂合わせしただけではないでしょうか。
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