三島溝杭 などと書かれる人の名前の語義ですが 田溝などの杭、のこと、とか、厠と男の象徴、だ、とか説かれることもありますが、どうなんでしょう。。。 「みそくい」鳥ならば、「みそさざい」という鳥のことを指す地方がある(広島・岡山)(他に「みそなめ」とか)出典:野鳥辞典 http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/misosazai/misosazai.html みそさざい に当てられた漢字として「三十三才」:「三十」が「みそ」、「三才」が「さ(ん)さい」という訳だ。 三十三才、を読むとき、端折っても好いし、「三三才」とでも書けば「みさんざい」も読みうる。(「にさんざい」(反正陵?)は「みさんざい」(履中陵)とは違う場所・古墳を示すのだが、言葉としては同じ語で、区別するために?訛ったに過ぎないように思える。) 大体、みささぎ(陵)という言葉も良く分からない単語だ。ささき、とは、みそさざいのことである(時代別国語辞典上代編)。高知県で「はかとり」(墓鳥?)という(前記、野鳥辞典)のは、この鳥の名が「墓」を意味(暗示、暗喩、隠喩)しているのだろう。 この推定を補強するのは、天若彦の葬儀を数種の鳥が執り行う、この中に「ささぎを泣き女とする」という記述があることである。(2004/05/23追記) なお、「みそさざい」のアイヌ語 tosir pokkun kamuy は「川岸の下にいる神」という意味だが tosir (川岸)を tusir と訛れば(曲解、語呂合わせでも良い)それは「墓」の意味である。 それを tu sir と分解すれば三島にはならぬが「二つの島」ではある・・・すでに「二名島」は tu re sir と解する事ができ、ここの re は3をも意味する、と説明している。伊豫の二名島、伊豫の三島、墓、みささぎ、みそさざい、みそくひ・・が有機的につながっているのか??? (2003/08/12追記) おほささぎ(仁徳天皇)と木兎宿禰とは名前を取り替えた、という。 ささぎ、とは、みそさざい、のことだと言う(岩波日本書紀頭注)
ほむたわけ(応神天皇)と角鹿のいざさわけも名前を取り替えたという。 この周辺には鳥の名前を持った皇子・皇女が散見される。 みそさざいに戻れば、スクナヒコが登場するときに、みそさざいの羽を着て来た、という。神代紀(下)のこの記事の直前に、三嶋溝くひ姫、なんて出てくるのも思わせぶり、、、なのか。
鴨・04にても触れたが、「建角身」の異伝「武茅渟祇」の「茅」を「葦」と変換して良ければ「たけ・あし(つ)の・つみ」あたりが得られる。これは、開闢神(の一つ)「ウマシアシカビ」、つまり「ウマシ・アシ・ツノ」と同義と考えられる。(参照) また、「三島溝杭」、「建角身」、その娘「活玉依姫」あたりが「ウマシアシカビ」、「角杙神」「妹活杙神」として、神代記紀に採用されたかに、窺えるがどうだろうか。
今のところ、上記のように、乱雑に配置される「点」だけに見えるのだが、これらが「線」になって来はしまいか、と興味を持って、イイガカリを漁っているところです。 |