古代の越
カグツチの後裔
越と出雲1

orig: 2001/02/25
欠史時代(神武の後、崇神までの8代)を勉強してる内に、越の国のことが大変重要におもわれてきた。越と出雲、越と近畿、越と丹波(丹後)、などに、且つ時代順に、うまく整理出来るようになるか。取りあえず「随筆」にしておく。
カグツチと香語山
毎度、神奈備HPさんの御厄介になるが、越後蒲原の伊夜日子神社(新発田市大字飯島甲751番地)の祭神は「天香山命、天照大神、建御名方命、倉稻魂命、大山祇命、大己貴命、罔象女命」の由である。また、熊野神社(北蒲原郡豊浦町大字岡屋敷535)では主として「イザナギ・イザナミ」が祭られ、従として「天香具山」ほか、が祭られている。 長野県東筑摩郡朝日村大字西洗馬の五社神社では「健御名方命、事代主命、瓊瓊杵命、天香山命、金山彦命」を祭っている。
天香語山は「高志神」とも呼ばれている(籠神社資料)籠神社は今「この神社」と読まれるが「香語(かご)神社」が原点かも知れない。
太字にした罔象女(ミズハのメ)命、金山彦命、は共にイザナミがカグツチを産んだ際の火傷に起因して生まれた神達なのだ。されば、同時に祭られている「天香語山命」とは「カグツチ」のことではないのだろうか?
イザナミを失って怒ったイザナギはカグツチの首を切って殺してしまう。その時の血が「湯津(ゆつ)石村(いはむら)」に走って、更に神々を生む、その中に「甕速日、樋速日、建御雷之男命 亦名 建布都命 亦名 豊布都命」そして「闇(くら)淤加美(おかみ)神」がある。
カグツチの首切りが、頚木(くびき)郡<久比岐国、の語源か?アヤシイ。。。
越後蒲原 彌彦神社「天香山命」西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898 の北隣の村の名前は「岩室村」だ。「いわむろ」は上記の「石村」であり、そこには温泉もあり、それが「湯津」に合致するのだろうか。
「湯津」(ゆつ)は「五百箇」(いほつ)と書いたものもある。
カグツチと建御雷之男命は上のように親子のような関係である。香語山とタケミカヅチは関係あるのだろうか? 先代旧事本紀によると、建御雷之男命は大己貴神*高津姫 → 都味歯八重事代主*三島溝杭女活玉依姫 → 天日方奇日方命*日向賀牟度良姫 → 健飯勝命*出雲臣女子沙麻奈姫 → 健甕尻命 亦名 健甕槌命 亦名 健甕之尾命、であり、天香語山とは関係しないようだ。
越(古志)と出雲
越と出雲:国引き物語自体が「越のツツの三埼」を引っ張ってくる(あとは新羅の三埼、北門の農波の国、北門の佐伎の国)
さて一方出雲系譜を見ると第2代(布波能母遅久奴須奴神)と第10代(甕主日子神)の妃は、それぞれ「日河比賣」と「比那良志毘賣」で、いずれも「オカミの神」から出ている。つまりこれらの出雲系譜にカグツチの流れが観察される。「布波」を今まで「フハ」と読んで来てみたが「ヌナ」と読めばヌナカハと因縁がつくようだ。

また、第12代、美呂浪神の妃は「青沼馬沼押比賣」(青海郡の関連はないか?)で、彼女の親は「敷山主神」。「志芸山津見神」ならカグツチの左手から生まれた神だ。

日本海沿岸を富山県から新潟県に登って行くと、青海町、糸魚川市、能生町、名立町、となる。名立町にある江野神社の祭神は「素佐能男命、奇稻田姫命、大己貴命、事代主命、建御名方命、大山命、彦舅命、影姫命、武内宿禰、屋主忍男武雄心命」とある。太字にしたように「奇稻田姫命」が出てくるのが興味を引く。というのは、別に論じたように「立」と「槌、椎、土」は同語でありそうだからである。つまり、「名立」は「名椎」と同語でありそうだ。そう、クシナダ姫の親である、手名椎・足名椎だ。また、こうして見てみるとクシナダ、の後半も「名立」に通じているようである。以前から気になっていた「名立」地名であったが、江野神社祭神を見て、心証を強くした。
出雲風土記神門郡条に「古志郷 イザナミの時 日淵川(保知石谷川)で池を作ろうとし古志の国人がやってきて堤を造った。その時に宿泊した所なので古志と言う」という記事がある。
出雲風土記には少なくとも二個所で大己貴が「越の八口を平らげて」来たときの話がある。(意宇郡母理郷、同拝志郷条)
一方「布都努志命」が出雲を国廻りする話もある(意宇郡山国郷条)
嶋根郡美保郷条:「所造天下大神 古志国坐 意支都(オキツ)久辰為(クシヰ)命の子、俾都(ヘツ)久辰為命の子、奴奈宜波(ヌナカハ)比賣命に娶い、生ませた神、御穂須須美(ミホススミ)命」
書紀によると国譲りに際して高皇産霊(タカミムスビ)が娘の「美穂津(ミホツ)比賣」を大物主の嫁がせている。勝った方が娘を出すというのも変だが、これは女系が勝っていた時代なのだ、と理解すれば良く、タケミカヅチ/フツヌシに戦わせて、トップとしては女性によって出雲を乗っ取ったのだろう。
これ(上の二つの項目)が倭国大乱を卑弥呼によって収拾した、との魏志倭人伝の記事に相当するのではないか、と拘っている。つまり、越の八口を平らげた、という出雲の主張は、或いは以前にそういうこともあったのかも知れないが(または単に出雲がそう主張してるだけ)、少なくともその後、タカミムスビ勢に敗れて国譲りになった、とは、実は越に敗れたのではないか。
母系名称が夫や子に伝承されている例が多いことを出雲系譜で示した。10世代中6代に亘ってこれが観察される。

参考資料:未完状態のもの多し
越と出雲2:出雲国引き
越と出雲3:カグツチの異名
越と出雲4:カゴヤマとムラクモ
欠史8代の再構築・8
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