人種、、、ううん、民族と言語の関係も悩ましい問題だ。
最近の分子人類学の発達によって、縄文人骨のミトコンドリアDNA配列と例えば現代のバイカル湖畔住人のそれとが一致した、などということが発表される。それ自体は間違いのない発表なのだが、だから日本人の起源はバイカル湖畔にあり、とすっ飛んでいってしまうのが大誤解なのだ。これについては別途掲載しているのでご覧頂きたい。 仮に日本人の起源が判明したとして、それでは日本語の起源も判明するのだろうか。静的に見れば民族と言語は対応していることが多いかもしれない。むしろ、民族とは、同一文化、同一言語を共有している人たちの群、と定義するなら、民族と言語が一致するのは当たり前だ。 ここで、現在のアメリカ合衆国USAのことを思ってみよう。アフリカ出自の人々が、日本からの三世、四世と共に英語を母語として使っている。(USAのスペイン語を母語とする人々のことは話が複雑になるだけなので無視する。)この状況(便宜的に、アフリカ民族や日本民族が英語を使っている)から、民族と言語は一致しない、と言うべきか。 或いは、そのようなアフリカ出自の人々や日本の三世、四世はUSA民族なんだ、と定義して、民族と言語は一致する、と考えるか。この場合には、民族の遺伝子的な構成は時代と共に変化する、ということを受け入れねばならない。 そう、民族が遺伝子的構成で定義出来る、という幻想で分子人類学の成果を解釈してはいけないのだろう。ましてや、遺伝子的同系が言語の同系を示唆するとはとても言えまい。 具体的に言えば、ある縄文人骨と同じミトコンドリアDNA配列を持ったヒトが現代の日本人、バイカル湖周辺のブリヤート人、チベット人、に見つかっている。さぁ、日本人の起源はバイカル湖なのか、チベットなのか。日本語の起源はブリヤート語なのかチベット語なのか。 別の縄文人骨と同じミトコンドリアDNA配列を持ったヒトはバイカル湖周辺にもチベットにも見つかっておらず、インドネシアとマレーシアに見つかった。この縄文人は古いインドネシア語を使っていた、と断じるのか。無茶であろう。
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民族とは同一文化・言語を共有するヒトの集合とする。民族を構成するヒトの遺伝子的構成は多様(*)であり、また、時代によって変移する。遺伝子が同じでも同じ民族とは限らないし、使用している言語も違う。 (*)上のUSAの例を見ても良いし、縄文人骨のDNAでも現代日本人のDNAを見ても、その多様性は驚くばかりだ。現在のサンプル数では同じ配列の保持者は平均二人だ。HLA遺伝子の研究報告を見ても約千人のサンプルから100は下るまいと思われる種類のパターンが検出されている。 |
かくして「日本人の起源」を一つに絞り込むことは、アフリカのミトコンドリアイブへ遡る以外に途はない。参考・捨象系統図 出来ることは、どういう要素から成り立っているか、その濃密(頻度)はどうなっているか、ということであろう。(ここで一番濃度の高い要素を以て日本人の起源とする、という立場も出てくるだろう。しかし、例えば、日本人がナニナニと共通する率が一番高い、その率が10%だ、ということだった時にそれを起源とすることは的を得て居るであろうか? また、研究が進めば進むほどサンプル数が増え、また、研究対象とするDNAの部分も現状の約1%から全貌へと拡大すれば「多様性」が増大する一方だろう、と観測している。) |
分子レベル(遺伝子など)の人類学の現状を雑駁に述べる。 ○×村の田中さん(単にある家系の例)と数人のバイカル湖周辺の住民、数人のチベットの住民、数体の縄文人がある共通なミトコンドリアDNAの配列を持っていた。渡辺さんからもそのDNA配列が見つかった。家系を調査してみると渡辺さんのお婆さんの妹が田中さんに嫁いでいた。しかし、この配列は、川井さんも中村さんも大沢さんも持っていなかった。他の100の家系についてはDNAを調べていない。 こういう状況から日本人のルーツはバイカル湖にあり、と言うのが如何に乱暴な話であるかが判るであろう。 |