南房総の地名 九十九里・考へ 千葉の語源 |
orig: 97/01/30
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rev3: 2003/06/05 伊豫大明神写真追加
先日、家族旅行で南房総へ二泊三日で遊びに行って来ました。この地域のアイヌ語起源ではないかと思われる地名に就いて以前 ニフティの同好の志と話していたこともあり気に掛けていた場所でした。
ま、遠足の感想文みたいになっちまいましたが、話題の展開でも出来れば。。。。m(_ _)m 目次へ戻る メールのご案内へ 付録:
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とのコメントを頂きました。以下、私の発信です。 そうですね、アタリ、だと思ってます。更に言えば、木更津の津は、to=湖・沼、だったかも知れませんね。(津、ツ、が to かも知れないに関しては、出雲国嶋根郡の雲津が風土記時代には「久毛等」と表記されていたことを参照。) また、小櫃川、も pon pit nay 辺りかも知れませんね。 pit:大小岩石の総称、ですから「石川の小さい方」({小さな石}の川、ではなく、小さな{石川})となる筈です。周囲に、小櫃川よりも大きい川ありませんか? 養老川とか小糸川が、古くは「大櫃川」と呼ばれていた、なんてことになると確度が上がるんでしょうが。。。
是非とも地の利を生かされて周囲の地名の歴史などお調べになりお知らせいただける と嬉しいです。今後ともよろしく。 木更津、再考 ORIG: 96/11/30 REV1: 97/07/17 format 「木更津」に就いてもう少し考えてみました。 先ず短いコメントで済みそうな「小櫃川」から。前回、pon pit nay か、と解いてみましたが、o pit nay 川尻に・石(のある)・川、も有り得ますね。これなら、大櫃川を探す必要は無い。。。 さて木更津ですが、秋田県の「象潟」(きさがた)、日本書紀の斉明天皇4年(AD 658)に出てくる、「都岐沙羅」(つきさら)という柵(対・蝦夷防御の砦)の置かれた地名、も参照してみたいと思います。 アイヌ語地名研究で名高い山田秀三さんは、都岐沙羅に就いて、「きさら」を葭原とする解もあるが、(同音で「耳」の意味があるので (参照、広島県の地名耳木谷山の項)、「沼の耳」、と考えてもよさそうだ、と述べてます。(アイヌ語地名の研究#1 p122)。北海道諸地にも、沼のくびれたところをトキサラと呼ぶ地名が残っているそうです。更なる補強として、このような防御施設は「要害」と書いて「ヌミ」と呼ばれていたが、「ヌミ」とは「沼」のことである、としてあります。日本語の古語辞典でも、ヌミの項に「ヌマとも」(言う)とありました。 知里真志保さんのアイヌ語地名小辞典でも、to-kisar 沼の奥が耳のように陸地に入り込んでいる部分、とあります。 「象潟」に就いての説明は私はまだ見たことがありませんが、これも、葦原潟、か、耳潟と解けそうに思えます。なお、耳潟、は耳の形をした湖沼、或いは、耳のように突出している湖沼、位の意味に取れましょう。実際の地形はどうなんでしょう、どうだったんでしょう? そんな事どもから、木更津、も kisar-to 耳・沼、とも考えてみて、地形と相談して みる必要がありそうです。 なお、沼=to、ですが、「都、津」は、普通読むのは「つ」音であり、「と」と「つ」をゴッチャにして良いものか、疑問無しとはしません。念のため。但し、前回、お話しましたように出雲風土記の「久毛等」が現在では、「雲津」になっている例があり、「と」「つ」相通ずるとしたい気持ちはあります。(^_^)
木更津、再再考
えぇ、以前どなたかのお話で承知しておりましたが、公刊印刷物であるから、それで確 定、とはしないで、色々コネ繰り回して楽しんでおります。(^_^) さて、「君さらづ」説ですが、これの弱点は(1)木更津には無い「み」の音が余分に入っている(2)「津」は「つ・づ」でしょうが、「さらず」(不去)の「ず」とは音が違いますね。
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