伊豆・杉鉾別命神社の由緒を読む |
punkar kari peka pon-kusan pon chikappo | 蔓(つる)を伝って可愛らしい小鳥が | p,k,p の反復 |
terke terke kane | あっちへ飛びこっちへ飛び | 同語の繰り返し |
そして、「語る者にも聞く者にも非常にソノラスな印象をもたらすのである。この音調的な美しさはアイヌ文学の特徴の一つであって文字の無かったため主として聴覚に訴えられることも原因の一つであろうと思う。」としています。
私が、ヤマトタケルの「カガナベテ」説話に見た、このソノラスな印象も、日本語だけからは感じることが出来ないものです。
こういうアタマでおりますと、見るもの聞くものがしばしばアイヌ語で解読すると興味あることが判ることがあります。
ここに静岡県賀茂郡河津町田中にある「杉鉾別命神社」の由緒、があります。
出典は「神奈備HP」、こちら
由緒 御神体を浜の方に祀ると船が進まなくなるので、天城山の方角に祀ると言う。 往古、杉鉾別命が酒に酔っぱらって野原の枯れ草の中で眠ってしまった。その時野火が起こり、命はすっかり取り囲まれて絶対絶命の状態になった。 するとどこからともなく小鳥の大群がやってきて、濡れている羽から水滴をたらしていった。いくどもいくども繰り返された。さしもの野火も消え、命は危うく一命をとりとめることができた。 当社の氏子達は12月17日から24日までの一週間は酒を断ち、小鳥を捕らない事になっている。神社の掲示では鶏肉、卵も食さないとしているが、12月23日までとしている。 |
杉鉾別命が酒に酔っぱらって野原の枯れ草の中で眠ってしまった。その時野火が起こり、命はすっかり取り囲まれて絶対絶命の状態になった。 するとどこからともなく小鳥の大群がやってきて、濡れている羽から水滴をたらしていった。いくどもいくども繰り返された。さしもの野火も消え、命は危うく一命をとりとめることができた。 | 我・呑む=chi ku 枯れ草=chi kina 野火=sir uhuy 小鳥の大群=chirruy 小鳥の大群=chikap ruy 小鳥の大群=chikap rup 鳥=chir とも言う(雅語) 濡れている羽=chirir rap水滴が落ちる=wakka chik |
即ち、知里の書き方を真似れば、ch, k, r,の繰り返し、頻出がとても目立っています。もう少し特定的に言うと、
最近解析していた「因幡の素兎」「隠岐の三つ子島」「伊予の二名島」なども、日本語へ翻訳されたため失われてしまったこの種の「ソノラス」な或いは言葉の遊びが原語(?)ではハッキリと覗えるのが判る。