猿田彦の周辺

orig: 2003/06/29
rev1:2004/04/23 マスラ追記


猿田彦に関する私見の要点
出雲国風土記・島根郡・加賀郷佐太大神佐太大神の生まれた所。御祖、神魂命の御子、支佐加比賣命・・・[頭注]「秋鹿郡佐太御子社の祭神。大穴持命の別名としているが、佐太の地の地主神か。後藤説は猿田彦神とする。」
支佐加比賣は「キサカ・ヒメ」と解されるが「キサ・カヒ・女(メ)」とも理解されて「キサ貝姫」ともなってしまう。アイヌ語を援用してみる。「サル= sar= 蘆原」である。「キサ」の部分を「キサル」と理解できるなら「キ 荻」+「サル 蘆原」という具合に母子に名前のつながりを見ることができる。(sar-ki 蘆 という語があるが、ki-sar が 蘆の周辺を意味する語としては見つからない。)
さるた* 地名分布さるた* 地名、東北の「猿田」などは、アイヌ語の sar 「蘆原」と関係しているものが多いかもしれない。
豊葦原の瑞穂の国参照「ススキやヨシの草原の上に形成された水田が、泥炭層の表面に作られるものより、短期的には生産性が高い。」・・・猿田=sar toy=葦・土、の関連が甚だ強い、と言える。
『日本書紀』第1の一書素戔嗚尊(スサノヲ)と櫛名田比賣(クシナダ)の間の子の名前として、「清湯山主三名狭漏彦八嶋篠」、「清繋名坂軽彦八嶋手命」、「清湯山主三名狭漏彦八嶋野」の三つがある。いずれも「八島士奴美」と近い音を含みますが、ロングバージョンになっています。ここの「狭漏彦」(さるひこ)から「猿田彦」次いで「佐太大神」が連想される。リンク「八島士奴美(猿田彦との接点)」
「狭漏」に関して言えば、アイヌ語で sar は「葦原、湿地」を意味するので「葦原の中つ国」ともつながる、注目に値する単語だ。
ヤマタのヲロチとの類似(記紀より)天八達之衢(あまの・やちまた)で立ち塞がっている人(サルタヒコ)は、鼻の長さが7咫、背の高さが7尺余り、7尋とでもいうか、口の脇が光輝き、眼は8咫の鏡のように赤赤と、赤いホウズキのようだ・・・
これは、ヤマタのヲロチを描写する表現と似ている。即ち、眼も赤いホウズキのようで、巨大だ。
やつまた沖縄古語大辞典「やつまた」高倉の異称。高倉は高床式の穀物貯蔵庫。八つ俣、また、六つ俣の呼称は高倉が八本又は六本の円柱によりたてられることからきたもの。・・・語形:やちまた、八股、八つまた、八つ又、八また、八ツ俣、八又。
高倉下(=天のカゴヤマ)との関連は? オホナムチが退治した越の八口とは天のカゴヤマのことか? その尾から天のムラクモの劔(天のムラクモは天のカゴヤマの子/先代旧事本紀)
サルタヒコと越の関係も興味のあるところだ。
サルタヒコの性格先導する
サルタを琉球語「サダル」の倒置、と解する考え方がある。(岩波『日本書紀』頭注p127:10、伊波普猷の説)。「サダル」は「先立る」として沖縄語古語大辞典に載っている。
日本古語の猿サル、マシ、と言う。また、マシラが平安時代に使われていた(時代別国語大辞典上代編「まし」)(奈良時代に使われていた確証がない、ということだろう。)沖縄には猿は居なかった。(沖縄古語大辞典「さる」)
出雲の佐太大神は「猿田彦」に擬せられることがあり、その父は「麻須羅神」と呼ばれる。この背景は「サタ」と「サルタ」の音の近さもあるが、父の「マスラ」を「マシ、マシラ」に感じて猿に引き寄せた可能性もありそうだ。「マシラ」と「マスラ」ならば、いわゆる今の東北弁訛りで通用し、古代にもイ列・ウ列の混乱/通用の例はある。
ソグド語で「キャラバンのリーダー」『海と陸のシルクロード』NHK出版『文明の道3』P182「ソグド語でキャラバンを意味する語がインド語の sartha に由来する sart である・・・」
P195「薩宝の原語は sartpaw でキャラバンのリーダを意味するソグド語であり・・・」
ゾロアスター教徒であったペルシア人やイラン系の西域人が、薩保や薩宝という官職を設けて管理していた。(Wikipedia ゾロアスター教 の項)
ソグド人
ソグド語
[2007/07/01 追記]

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