『先代旧事本紀』に大国主の児として「都味歯八重事代主神」がある。本稿では、ここに含まれる「都味歯」について考える。 同書によると、この神は「倭国高市郡高市社に坐す。亦は、甘南備飛鳥社と云う。」とある。(現、橿原市曽我町の天高市神社、とされる。)
従来の考えの代表的(私の理解)と思われるものは、鳥越憲三郎著『神々と天皇の間』(朝日新聞社、1970年)が主張するもので、御所市の「鴨都波神社」の主祭神である「鴨都味波八重事代主神」に関して、
しかしながら、「水端」説は次の点から、難がある。 ・「端」を意味する場合に使われる「ハ」は「山のハ」「年のハ」のように「の」が入っている。つまり、「水のハ」という語構造ならば説得力があるが、「の」が介在しない用例は無いようである。(参考:『時代別国語辞典上代編』「は(末)」の項。)なお、「ハヤマ」という用例はあり、「端にある山」が原義であろうが、麓の山、のことである。しかし、この用例、語構造は、本件検証には関与しない。 ・もうひとつの難点は、次の通りだ。即ち、水(ミヅ)の「ミ」は甲類である。しかるに「味」を音読した場合の「ミ」は乙類である。最近、奈良朝時代の日本語八母音説(甲乙の弁別)に疑問、反論が出ているものの、八母音説は少なくとも現状では定説であり、「味」を水のミと解する事は首肯しがたい。甲乙弁別を逸脱する場合には、相当の理由説明が求められよう。 ・また「鴨都味波」ならば「鴨都」を「鴨の」と解する事もありえようが、『先代旧事本紀』のように「鴨」がつかず「都味歯八重事代主」とするのをどう解するのか。「鴨の水辺」説では説明できまい。 さて、一方「鴨都波神社」の祭神は「積羽八重事代主」という用字をしており(どこまで遡れるのか知らない)、また、平安期の文書に「都弥波」という表記があるそうである。この「弥」が「ミ」として使われる場合は、奈良時代なら甲類を表す。また「積」の字を「ツ」とだけ訓じる(鴨都波神社パンフレットのルビ)のか、「ツミ」と訓じるのか、不明だが、「ツミ」と読む場合、これは「積む」という四段活用動詞の連用形と考えられる。その場合の「ミ」は甲類である。すなわち、こう書かれる場合の「ミハ」は「水・ハ」を意味しうる。(「ハ」を「端」とするには、上述の問題が残っているが)。
このように「ツミハ」と読みうる表記が四種類(都味歯、都味波、積羽、都弥波)集められた(これ以外にもあるのか、ご存じの方はお教え願いたい)。これらの内、前二つが「ミ」を乙類とし、後二つが「ミ」を甲類としている。 これはどういうことであるか、を考えねばならない。幾つかの論理的可能性を上げてみる。
「都味波」=「の水辺」説には上記の難問があることは指摘できたが、下記私案にも難がある。 『先代旧事本紀』が「都味歯」とするので、最初の「都」が助辞であるはずはない。その上で「ツ・ミハ」と切るのか「ツミ・ハ」と切るのか、はたまた、「ツ・ミ・ハ」が相応しいのか。 「ツミ」で一つの意味要素となっていると考える場合に「大山祇」などの「祇、ツミ」が考えられる。しかし、この場合の「ミ」は甲類である。(参考「大山津見」、「見」は甲類。)古来、本来の「ツミハ」の「ミ」は乙類である、とする立場から行くと矛盾してしまう。 「ハ」に関しては、中鴨社の祭神が「大歳神」であること、アイヌ語 pa が「歳」も意味する事、「大歳神」と「サイの神」のある程度の関連づけから伝染病を村の境界で阻止する神格として、アイヌの pa kor kamuy との関連を見た事、などから、「歳」に絡んでいるものではないか、と考えている。
他に、興味なしとしないアイヌ語を幾つかあげておくと: 「都味歯」にゴロアワセして、tumi pa とつなげて「何回も戦う、何度もの戦い」などと作ってみたいが、駄目である。pa が複数を表出するのは動詞に関してである。アイヌ語では、このような語法は、少なくとも今は無い。昔あったかもしれないが、そのように枠を緩めてしまうと何でもありの世界になってしまう。。。 総括して、ツミハの解が満たすべき要件が整理できた、に留まる。即ち |