おすひ飯高・考

orig: 2003/12/26
rev1: 2003/12/27 参考事項追記など
rev2: 2008/10/26 文章・構成整理

「おすひ」は「飯高」(三重県の地名)に掛かる枕詞で、「意須比」と書かれることもある。『倭姫世記』では「意須比飯高国」、『皇太神宮儀式帳』では「忍飯高国」とある。
『時代別国語大辞典上代編』(JK)には「おすひ 枕詞。 地名飯高(いいだか)にかかる。かかり方未詳。圧す飯、で飯をおさえて盛るの意味で飯高にかかるか」とある。

すでに神社名「布忍」に関連して考えたように「おす」とは日月が「照る」ことである、とした場合に、「おすひ」が「おす日」、すなわち「照る・日」ではないか、と思うものである。

それを裏付けるために「飯」の用例を調べてみると、確かに食事の意味でも使われ、その場合には「いひ」と読まれる。一方、「飯」が仮名として使われると「ひ」(甲類)に使われている。万葉集から事例を挙げておく。

「飯」を「ひ」と読む例
12/3200/1 けのうらに 飼乃浦尓 12/3200/2 よするしらなみ 依流白浪 12/3200/3 しくしくに 敷布二 12/3200/4 いもがすがたは 妹之容儀者 12/3200/5 おもほゆるかも 所念香毛 12/3201/1 ときつかぜ 時風 12/3201/2 ふけのはまに 吹乃濱尓 12/3201/3 いでゐつつ 出居乍 12/3201/4 あかふいのちは 贖命者 12/3201/5 いもがためこそ 妹之為社
そして甲乙を調べておくと、この「ひ」は甲類であり、「日」の場合の「ひ」も甲類である。「意須比」の「比」も甲類である。

従って「おすひ飯高」は「おすひ・ひだか」が原点であり、その意味は「日高」という地名に「おすひ=照る日」が冠したものである、と考えられる。

なお「おすひ」には「一種の上衣・・・」(JK)の意味もある。これと上記の枕詞「おすひ」はとりあえず別語であろう、と考える。いささか含みを持たせたのは、ヤマトタケルが蝦夷征伐の帰途立ち寄った尾張でミヤス姫を訪れたときに「おすひの裾に月経がついていた」というので「おすひの裾に月立ちにけり」と歌を詠んでいるからである。つまり、ここで「おすひ」を「上衣」と「照る・日(月)」というダブルミーニングに使っているのか、とも思ってみたいからである。

参考事項:

第44代元正天皇 (日本根子高瑞浄足姫天皇。草壁皇子の皇女。母は元明天皇。) 諱(いみ名)飯高のちに氷高{群書類従第三輯(帝王部)巻第三十二 .皇年代略記 元正天皇の段} また、「氷高」は『続日本紀』にも出ている。


「氷」も「日」と同じく甲類の「ヒ」であり、「飯高」と「氷高」は同語であるから「日高」もまた同語でありうる。


本居宣長記念館のサイトに次のようにあった。(改行は引用者)

「意須比」は飯高に係る枕詞。
『古事記伝』巻11に淤須比遠母は意須比と通うとして、
「倭姫命世記に、意須比飯高国とあるは、食器に物を盛を、
余曽布とも意曽布とも云、その言にて、意曽比たる飯高しと云意の、
枕詞なれば、此とは異なり、されど事の意は、本は一ツにおつめり、
此ノ意須比を儀式帳には、忍とあるは、比ノ字の後に脱たるなるべし、
強てよまば、忍ノ一字をもオスヒと訓べし」と記す (宣長全集:9-473)。


この説もJKと同様に「飯」を「イヒ」と読んで、この字の「意味」に囚われている。これは仮名と考えて「ヒ」と読むべきであり、「日」の意味であり「飯、めし」とは無関係であろう。

「オス・ヒ」が「照る・日」を意味する古義を考えれば、「照る・日」→「日高」という連想、即ち枕詞の機能を果たしていることが明確である。


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