以前より「卑弥呼」を「ひみこ」と読む、すなわち「呼」字を「こ」に読むことに異議を持っていて、卑弥呼の読み・本当にヒミコと読むのかにて「呼」は「ほ」であろう、と述べた。その際のデータを再掲しておく。
卑 | pieg | pie | pi | ...p∂i | ヒ甲 |
彌 | mier | mie | mi | mi | ミ甲 |
呼 | hag | ho | hu | hu | ホ、でしょう |
上古音なら、pieg mier hag
中古音なら、pie mie ho
「呼」の中古音が ho であることにより日本語側でも「ほ」に宛てるのが良いのではないか、としたものだった。その後Rosettastoneさん(上記)が「を」であろう、と提起され私も再検討した。なるほど、万葉集でも「呼」は「を」に使われているし、漢字側から考えても h は ɦ と同じ喉音の清音・濁音の違いであり、ɦ は日本語では「ワ行」に対応している;従い「ひみを」が適切な呼び、読みであろう、と考えるに至った。
さて、その語義は何であろうか。
「ひ」 | 魏志倭人伝が伝える倭語が、奈良時代の日本語と同系だと仮定すると、「卑」は「ひ(甲類)」であり、その意味は「日、氷」などであり、「火(ひ乙類)」などとは異なる音であることを確認しておく。
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「み」 | 上に従って「弥」は「み(甲類)」であり意味としては「三、見、水」などがあり得て、「身」や「神」を「かみ」と読む場合の「み(乙類)」などとは異なる。
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「を」 | 「雄、尾、緒、峯、丘、麻、苧」などの意味がある。
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早速上記から「ひみを」の語義可能性を組み立ててみよう。
可能性 | コメント
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日水峯 | 別稿で、「み」が「川」を表していた可能性があることを論じた。この解では「ひみ」の部分を「日川」と考えることになる。これは、「古事記に出てくる出雲の神様」に掲げたスサノヲ系図にある「日河比賣」という名前に一致する。
スサノヲ系図
0.素戔嗚尊 | =櫛名田比賣 | ←手名椎/足名椎←大山津見 |
1.八島士奴美神 | =木花知流比賣 | ←大山津見 |
2.布波能母遅久奴須奴神 | =日河比賣 | ←淤迦美神 |
3.深淵之水夜禮花神 | =天之都度閇知泥神 | ←? |
4.淤美豆神 | =布帝耳神 | ←布怒豆怒神 |
5.天之冬衣神 | =刺国若比賣 | ←刺国大神 |
6.大国主神 | =鳥耳神 | ←八島牟遅能神 |
「日河比賣」の親が「淤迦美神」という、その「淤迦美」を「丘水」と捉えて良いのかと一瞬思いがよぎるが「丘、峯」は「を」または「をか」であり「淤迦」が「おか」であることと整合しない。出雲の斐川、簸川の「ひ」は乙類であり「火」に通じることは可能だが「日」に通じさせることは出来ない。
「日高見」という語があり「祝詞」によれば国境の如くであり、また、北上川のことである、とも云われる。上記の「み=川」を適用すると「日高見」は「日高川」のことで和歌山県を流れている。(「日高」という地名は北海道を除いても茨城、群馬、長野、和歌山、島根、愛媛、大分に見られる。「飯高」も「ひだか」であり得。) |
氷川峯 | 日高川(和歌山県)流域に「寒川(ひみ)」「見山(みを)」「清冷山」「冷水山」などが見られる。「高(たか)」は「岳(たけ)」と同源の可能性もある(参照:高・竹、 栄・酒、 赤・明、 影・輝、 宅(やか・やけ))つまり「日高」=「日丘、日峯」と捉えても良いのかも知れない。
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日水尾 | 「尾」は「緒」と同音。日や水の緒、緒は命。 日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)@愛媛県松山市、日尾池姫神社(天日尾神 天月尾神 国日尾神 国月尾神)@舞鶴市(与保呂川の上流)[丹後風土記残欠では加佐郡にある35社の一つに「日尾月尾社」がある]、
「水尾」(みを)近江國高嶋郡 水尾神社(磐衝別命 比咩神)
古座川上流佐本川流域に「冷水(ひみ)山、三尾(みを)」。熊野川付近に「三尾山」
「氷見」(ひみ)という地名もある。「氷上」(ひかみ)はコトバとしてはやや遠いか。
山口県旧鹿野町東部(現在:山口県周南市大字須万 )の『秘密尾(ひみつを)』という集落に『氷見(ひみ)神社』がある。創建は貞観(じょうがん)7年(870年)。「広大な原生林を切り開くのに七日間かかり、やっと太陽を拝めたということから、ここは日見尾(ひみお)と名付けられたそうです」という案内板がひろしさん、という方のBlogにある。「この神社の上宮は女人禁制となっていますが、上宮とは、氷見神社社叢つまり氷見神社裏山(社叢)が御神体だそうです」という報告もある(上記Blog)。三代実録に比美神として見えるのがここであろう、と考えられているようだ。
福井市の「日野川」流域に「三尾野町」があり天神山に古墳群があり、弥生時代以降の遺物がでる、と。
つまり「ひみ」「ひを」「みを」という語があり得る、という例。組み合わせて「ひみを」が造られ得る。
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上記のように「卑弥呼」は「ひみを」と読んで上に上げたような意味合いの名義であったのではないか、と考える。
しからば「狗奴国男王」の「卑弥弓呼」はどうなるのか。「弓」は「ku く」であろうから「くくのち」と云う時の「木」に相当するとできよう。すなわち「卑弥弓呼」は「日・水・木・命」あたりか。この場合の「呼、を」は「雄、男」と解することも可能だろう。
更に云えば魏志は「狗奴国の官」を「狗古智卑狗」と伝える。とりあえず「くこちひこ」と読むが「く」音が特徴的である。「狗古智」は「くくのち」(木の神)と解読できそうに見える。問題は:「古」の「こ」は甲類であるが、「木」を「こ」と読む場合の「こ」は乙類である、という点だ。
ここで参照したいのは https://dai3gen.net/semoko.htm で指摘しているように「柄渠觚」(へここ)という名前の「ここ」部分は「乙、甲」となっており奈良朝時代の日本語から見ると異例、違例になっていることだ。魏志倭人伝が伝える日本語(倭語)では甲乙の弁別が乱れている(行われていない)とも云えそうだ。とすれば、奈良時代ならば甲類の「こ」を表す「古」が、卑弥呼の時代には甲乙の弁別が無かった、と考えて「木(き・奈良時代なら乙類)」を示していても構わない、と強引な仮説を立ててみようか。