アマミは「海部」?

orig: 2008/09/25
rev3: 2008/10/07 (*)追加

「あまみ」という語の起源に関して、伊波普猷著『古琉球』(岩波文庫・青N102−1)のp56〜に
「アマミキヨは天の御子ではなくして海人部(あまべ)の人という事に違いない(琉球語にはe(エ)の短母音はないから、me(メ)はmi(ミ)となり、またmはbと入りかわることがあるから、ビはミになったのである。)」
とある。

そして続けて、「思うに海見嶽及び奄美大島の名称はかつて九州の東南岸にいた琉球人の祖先が沖縄に来る前に暫く大島にいた事を語る最も簡単な歴史である。」とする。

それを受けて外間守善もその著『沖縄の歴史と文化』(中公新書799)のP155〜同趣旨を述べている。


本稿では「アマミ」の語源が「海部(アマベ)」でありうるか、を検討する。

1. まず、伊波の上記考えの根拠となっている「琉球語にはe(エ)の短母音はない」ということを調べてみる。『沖縄古語辞典』の解説編「音韻 母音」の項から引くと
(3)エ段の母音
 『おもろさうし』ではア行、ハ行、ワ行以外のエ段の仮名とイ段の仮名は原則として区別されているが、eはi(ウムラウト付き)に近い音であったであろう。
すなわち、「え、へ、ゑ」は「い、ひ、ゐ」と混同される例が多く、これらの行においては、eはi(ウムラウト無し)になっていたと考えられる;という。

ではバ行において「べ」が「び」になるだろうか。上記からは判然としない。ハ行で混同されるならばバ行でも混同されそうである。実例があった。「あすたべ」(長老階級。「べ」(部)は年齢・役職などの集団・階層を意味する)には「あすたび」という語形もある。つまり、この例を参照するなら「あまべ」が「あまび」に転じる可能性はある。

さて、それでは、「び」が次いで「み」に転じて、「あまべ」→「あまび」から「あまみ」となりうるか。言語感覚からも、また、特に「美」という文字を介して「び」→「み」がありそうだが、適当な実例が見つからない。(「かんなび」に対する「かんなみ」を想起するものの、「かんなみ」という語形は『時代別国語大辞典上代編』になく、新しいもののようだ。)

また、現実に「べ(部)」が「び」を経由しようが直接にでも「み」に転じている例が見あたらない。

一方、「べ」が「め」に転ずる事例は和語にある。そのように転じた「め」が「み」になるか。上記『沖縄古語辞典』に依ればマ行では「原則として区別されている」ということになる。

べ━疑問━び━可能かも。しかし実例?━み

┗━可能━め━疑問━み
「ウチナーグチ」「琉球語について」というサイト(私のではありません)でも、和語の「あいうえお」が琉球側では「あいういう」に相応する(つまり、三母音)ようになるのは12−15世紀(おもろの時代)と考えられている。

「あまみ」は「おもさうし」に歌い込まれている名称であり、「あまべ」の転訛、と考えるのは、言語学的に時代が合わない。

2. 次に「部」という概念が、どのような音で表されているか、『沖縄古語辞典』を調べてみる。
「〜べ[部](1)〜の階層の人たち。年齢、職業、地位等の階層・集団を表す接尾語。あちべ、あすたべ、あねべ、・・・」(等々)
とある。すなわち、「部」は「べ」として採録されている。一部変形語形に「あすたび」などのように「べ」が「び」に変じているものもある(*)。しかし「め」や「み」で書かれている事例は見あたらない。つまり、古代に「部(べ)」が「み」に変化した事例がないようである。

(*)日本古語の範疇では「べ」が「び」になる例が見あたらないが、琉球語内部では事例がある。しかし、「部」を意味する「び」が「み」になっている例は見あたらない。

3. また「海人部」という「部」があったのはいつ頃なのだろうか。『古事記』で「海部」が出てくるのは応神天皇の時(それ以前に「誰々が・・部の祖」という記述(細注)はあるが、ここでの考慮対象にならない)。『日本書紀』では「海部」は雄略天皇の時に初見となる。「あまみ」が「海部」を起源とするのがこのような時代(以降)で良いのであろうか。「あまみく」の海見嶽への降臨はもっと古い時代の事ではないのか。

更に加えて云えば、あまみく は琉球開闢の神であり、その起源に「部」で表される「皇族や豪族の隷属民」のラベルが入っている、とは到底納得出来ない。

以上の考察により、「あまみ」の起源が「あまべ(海部)」である、ということには大いに疑問を持つものである。


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