「内木綿」は「うつゆふ」と読む。神武紀に国褒めの表現として「内木綿真末国」として出てくる。これは「うつゆふの・まさき・くに」と読む。
面白いと思うのは:ゆふ と あさ:木綿と麻でもあるし:夕と朝でもある。 なお、木綿(もめん)、わた、は後代に渡来したもので上代には日本にはなかった、とされる。 先ず「うつ」に関して考えてみる。JKを見てみると: 「うつ」には「顕、空・虚、全、打、棄」などが意味することが書かれている。 「うづ」には「渦」の他、「珍しい」とか「高貴な」という意味の言葉がある。 「うづ」と読んでいる語に宛てている漢字を見てみると「于図」「宇頭」「宇豆」などがあり、第二音節は清濁いずれもありうる。すくなくとも一例「宇都」と書いているものがある(祝詞大殿祭に「宇都御子皇御孫之命」とある)。「都」は清音である。(濁音に読む積極的な例は未発見)。「内木綿」の場合、上記の「うつ」「うづ」の意味のなかで「高貴な」がふさわしいか、と思う。
次に「ゆふ」が「こもる」の枕詞としてどのように関連しているのか調べてみる。 つぎに「ゆふ」が「まさき」の枕詞としてどのように関連しているのか調べてみる。その為には「まさき」の意味を調べねばならない。 JKには「まさき」という項目はないが、「まさき」で始まる語は二つ掲げてあり、最初は「まさきく」である。 「まさきく:真福:副詞:しあわせで、ご無事で。「ま」は接頭語」とある。上記、神武紀の「内木綿真末国」の「真末」も真幸の意味だ、とする説もあるそうだ。
JKの次の項目は「まさきのかづら・・・葛の一種。・・・上代、神事に用いた。つるまさき、ていかかずらの類。マサキ・マサキヅラとも(云う)」などとある。 「うつゆふ」が「まさき」に掛かる場合の「マサキ」は「さく(裂く、割く、拆く)という動詞の連用形」ではなかろうか。つまり、「まさきのかづら」も「ゆふ(こうぞ)」もスカっと裂くことができる、のであろう。
ここの連想作用も、「こも」と同様に植物つながりに基づいているようだ。そして、「内木綿真末国」とは実質的には「真幸(まさき)の国」とでも云うのに枕詞を宛てたものであり、その枕詞としての、読み手に与える連想効果は「木綿→まさき→真幸」という流れであり、句を造作、構成した順序は、
別途、アイヌ語を援用して「内木綿」を解いたことがあるがここでは、和語の範疇で従来不詳とされてきたこの枕詞が上記のように、良く裂ける、ということと、植物繋がりで成立しそうなことを提示した。 神武紀の表現は「内木綿真末国」に続いて「猶如、蜻蛉之臀巖 」(なお、あきづの・となめ・のごとし)とあり、アイヌ語解ではこの二句がある程度一貫して解けるが、和語の範疇での上記解では「真幸の国」と「あきづのとなめ」に不連続感が強い。 |