丹後と吉野につながり発見?

orig: 98/09/06


まず丹後風土記残欠(田造郷の条)と(カヤナルミ考で使った)姓氏録からの二つの記事をご覧ください。

丹後風土記残欠:
姓氏録:
【笠水訓字宇介美都 (笠水をウケミヅと読む)一名、真名井、白雲山の北郊にあって、清いこと麗しい鏡の如し。 けだし、これは豊宇気大神が降臨した時に当たり、■■湧き出た霊泉である。 その深さ3尺あまり。その周囲は122歩。日照りにも涸れず、長雨にも 溢れず。いつも増減しない。その味は甘露のようで、万病を癒す力がある。傍に、祠が二つある。東は、伊加里姫命、或いは豊水富神と 称す。西は、笠水神即ち、笠水彦命笠水姫命、の二神。これは、即ち 海部直たちの斎きまつる祖神である。以下虫食い5行】 「吉野首部:・・・姓氏録、大和神別に『吉野連、加弥比加尼之後也、諡神武天皇 行幸吉野、到神瀬、遣人汲水、使者還曰、有光井女。天皇召問之、汝誰人、答曰、妾是自天降来白雲別神之女也、名曰、豊御富、天皇即名水光姫、吉野連所祭水光神是也。』とある。」

次いで対比できそうな名前を両文書から抜き出して併記します。

丹後風土記残欠:
姓氏録:
白雲山白雲別
豊宇気大神が降臨天より降る白雲別神
伊加里姫命光井女
豊水富豊御富
発見(?)の端緒は「豊水富」と「豊御富」の酷似です。両方とも「トヨ・ミ・トミ」と読むのでしょう。ありゃ、と思ってよくみると、「伊加里姫」の「イカリヒメ」と「光井女」の「ヒカリヰメ」は十分類似音に捉えることが出来ます。両文書には神の降臨の話があり、降臨してきた先が、丹後では白雲山かと単純ながら推定ができ、吉野では「降臨してきた白雲別神」とされています。

奈良県の吉野に「井光」という地が今でもあります。これは(少なくとも現在では)「イカリ」と読まれます。神武記では「井氷鹿」と書かれているので「ヰヒカ」と読まれてきましたが、上記を見ると、もともと「ヰカリ」と読むべきなのかもしれません。

そういう次第で、丹後風土記残欠と姓氏録の話のルーツは同じなのではないか、と思いました。こんな説、ありますか?


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