少彦名の語義・別考 |
前項で「スクナヒコ」を poy re(p) un pe と考えて「幼少な・沖の(外国の)・人」か、としました。ここでは、別の考え方を取ってみます。それは、「スクナ」彦は「オホナ」ムチに対比されている、という見方です。そうすると、オホナムチの「ナ」は「土地」のことである、という解釈もあるので、スクナヒコの「ナ」も同じく土地の意味だとします。
前回も書いたように、ユーカラに良く登場する英雄に ポイヤウンペという人(神?)があります。原語では pon ya un pe で「小さな・陸(こちら側)に・属する・もの」つまり「小さな・陸人」ほどの意味合いです。「陸」は即ち「土地」ですから、ポイヤウンペとスクナヒコは同義になります。 大国主と少名彦は(義)兄弟となって、協同して国造りにあたった(古事記)という面から、ポイヤウンペ(ユカラカムイ)の事跡を調べてみますと、ポイヤウンペはオイナカムイ(アイヌラックル)と異腹の兄弟だ、という(金田一京助全集11・アイヌ文学V・P293)。(ここに「オイナ」という音と大国主の異名「オホナ」ムチの近似が観察されることも心に留めておきたい。) つまり、「大国主と少名彦のペア」は「オイナカムイとポイヤウンペのペア」と対比できそうに思われる。 また、オキキルムイという登場人物があるのだが、地方や伝承者によってオイナカムイのこと、とされたり、ユカラカムイである、とされたり混乱しているようだ(金田一11・p276-283)。いずれにしても「オキキルムイ」が「裾に・キラキラする・皮を・着る・もの」と解されていることは前項にも示したように、スクナヒコの登場場面を彷彿とさせるものがある。 書紀の続きにある一文「大己貴神はスクナヒコを拾い上げて掌(tek)でもて遊んでいたら、ぴょんと(tek)はねて大己貴神の頬(huy)に噛みついた(kuy)」というのも縄文語(>アイヌ語)で語られると語呂が面白い。 補注(三雲・別考で掲出したものと同じ)
1: しかし「{小さな陸地に}居る人」と解すれば、これは、記紀・風土記がしきりに「狭野命」とか「狭布の稚国なるかも」というように「小さい国、小さい陸地」を表現しており、「小・地・人」という語群(概念)の「小」を「地」に関する形容詞とするのか「人」に対する形容詞にするかの揺れのように窺える。 2: 神代紀の住吉三神誕生の所で「少童」と書いて「ワタツミ」と読ませている。少年が海神である、とは、pon rep un pe (幼少な・沖に・居る・人)という造語(何故なら「幼少な・陸に・居る・人」ならユーカラに登場するが、「幼少な・沖に・居る・人」は出てこないので)もあながち悪くないか、と思われる。 |