「国懸・日前神社」の語義探索に際して「白」が「の」とか「やま」とか読まれる(と言うより「宛てる」と言うべきか)事例を挙げた。すなわち:
これらは、全て「のしろ」と読むべきではないか、と考える。 「野義村」「乃木町」などは当然「のぎ」としか読めないが、これらは、「野城」を「のぎ」と誤読・誤訓したことに基づく後世の用字だ、と考えることになる。「乃白」という用字が古訓を保っている、と考えることになる。 現在の地名でも「乃白町」と「乃木」地名(上乃木、浜乃木、乃木福富町)が隣接しており「のしろ」と「のぎ」を同源と考えることを助ける。 つまり「のしろ」→「野城(乃白、野代)」→「野城→のぎ」→「乃木、野義」と変遷したものであろう。 このような次第で「のしろ」という語があって、「白」を「の」と読ませる(誤解であろうとなんであろうと)のではないだろうか。 このように昔の宛字(遊び?)を解すると、「白」を「やま」とも無理矢理読ませるのも「やましろ」という地名を考えれば納得の行くことになろう。 「白」が宛字(遊び?)で読まれる例として: 万葉集 11/2410/3 しきたへの 敷白之 が上げられる。「白妙」「白細」などと書いて「しろたへ」と読むのだが、この例では「「敷白」と書いて「しきたへ」と読む、すなわち「白」を「たへ」と読んでいる。 「白」を「たへ」と読むのは「白」がしばしば「妙、細」(たへ)に接合するから、であろう。ここから、「しろ」が「野」や「山」と接合するならば、「白」が「野」や「山」に宛てられる、ということが可能となる。 さて、以上が「白」を「の」に宛てた可能性を述べた。次にこれを応用してみると: 「白木」という神社名、地名があるが、これも: 「のしろ」→「野城、野白」→「白城*、白木」という宛字変遷になっていまいか。「白木」地名(新羅との関連が説かれることが多いが)の周辺に「のしろ」の痕跡が無いか、調べてみようと思う。 今の所:三重県伊勢市南西、宮川沿岸に「白木」、対岸上流に「(大)野木」、富田林市に「山城」と「白木」(関係ないか?)、熊本県玉東町に「白木」と「野田」(野田←野代{のしろ→のだい(ので)→のだ?})、熊本県天草島「白木河内」と「野平」、福岡県「大野城市」に「白木原町」(野城は「のぎ」、白木も「のぎ」?)、などが痕跡なのだろうか、とメモしている。これらは現代地名であり、どこまで遡れるかを検証せねばならない、という根本的問題は抱えている。 脱線: 「邪馬台」は「山代」であろうか、と考えてみることがある。 ・その国名は「やまで」である。 ・「て(連濁すると「で」)」は方向などをあらわす接尾語であり「しろ」と似た意味である。(時代別国語大辞典上代編「しろ」の項) ・「て(で)」も「しろ」も漢字表記は「代」が可能。 ・「代」と「台」は同じ中国音(上古、中古) ・「山」を「邪馬」と写し、「代」を「台」とした ・参考:
[2012/05/26追記]和都賀野・考も参照。「尾山代」を「おやみで」と読む例がある(奈良・月ヶ瀬) [2005/09/11追記] 上記「やましろ」に関して沖縄古語大辞典に下記がある。
即ち、「やまと」も「や(ま)しろ」も日本国(和国)を広く指し示す語であったようだ。 |