御井・木俣との関連 爾佐の加志能為社 |
赤坂憲雄著『東西/南北考』(岩波新書)に興味ある記事があった。農具の「箕(み)」に関することである。 「(東北の)箕作りは山の樹木を材料とする。・・・わらじを履いて木に登るな、二股の木は伐るな、お産の話はするな、といった禁忌が数多くあった。」
『民俗学事典』の「箕」の項から、いくつかの事例を引いた中に この一連に興味をもったのは、箕が御井、木俣と深層でつながりそうだからだ。すなわち 但し箕と御井を関連づけるに関して言語学的には問題がある。すなわち「箕」は乙類のミであるに対して「御」は甲類なのだ。箕の読みに関して倭名抄では「美」と書いており「美」なら甲類なのだが、「浦み」(浦の回り)などというときに「浦箕」という万葉集用例があって、浦み、の場合のミは乙類なのだ。倭名抄の時代には甲乙弁別が乱れていた(廃れていた)可能性も高く、倭名抄を甲乙弁別の根拠にするのは弱い、ということらしい。 言語的には上記の問題があるが、一般民衆の習俗の場面では余りこだわらないでも良い、として良いであろうか。 アイヌ語 *uy が 乙類に対応するか? |