国焼郷焼
逐語解

orig: 2001/05/05


アイヌラックル(半人半神)の名前は moshir shitchire, kotan shitchire, oipepi poro, sanenkor suoyankep sani である、という。(金田一京助全集十一アイヌ文学V:p305など)(ローマ字に置いたのは私です。)これは「国焼郷焼大椀額際鍋抱の子」と訳出されている。

これだけ長い名前だと当然の如く異伝もあり、同書p291には父親の名前を moshir shitchire, kotan shitchire, oipepi poro, sanka tososo, honokkashi suoyanke で「国焼郷焼大椀棚荒胸元鍋抱」と訳出している。

因みにこの長い名前はアイヌラックルの父が戦場で忙しく立ち働いたので食事をする暇がなかったので、大きなお椀を顔が隠れるように持ち上げて鍋を抱えて大急ぎで食べた、という理解をされている。二つ目の例では、棚の上の食料を杯盤狼籍して食べた、ということになる。

これらの語群を一々入念に調べてみるのも中々面白そうなのだが(例えば前者が sanenkor(額際)としている部分が後者では sanka tososo (棚荒らし)となっている。どっちか、または両方が訛りに訛って間違いに至っているかもしれない)本稿では最初の部分に限ってみようと思う。

それは別にあげた モシレチクチク〜 moshirechikchik kotanechikchik という魔神の名前と構造が似ているからである。実は構造だけではなく、モシレチクチク〜の チクを chik と捉え「滴り」と考えるなら、ここの shitchire も「滴り」の意味がありうるからである。chirir という動詞が chik と同様に「滴る」の意味であるからである。

従来の訳は、chi に「焼ける」があるので chi-re は他動詞として「焼く」があることに基づいている。(chire には、また「湯が沸く、ゆでる、煮る、枯らす」などがある。)

この訳が、今、性急に間違いなどとは言わない。片や魔神だし片や人類の祖のような立場であるのことにも躊躇いがある。が、イザナギ・イザナミの国生みに際して「天の沼矛から滴り落ちた潮が凝り固まってオノコロ島ができた」というときの「滴り」が上記の長い名前に共通してはいまいかとか、スサノヲが出雲の祖であり且つ岩戸隠れの原因になっていることとのパラレル、などを考えはじめているところである。

モシレチクチク〜
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