巻三五・#25/#53 越の八口? |
25 | 捶口郡 | *捶項口郡 | [25捶項口縣(一云古斯也忽次)] |
53 | 臨江縣 | *捶項縣 | [53捶項縣(一云古斯也忽次)] |
捶とは、角の小さい鹿、のことで日本語では「のろ」という獣のことだそうだ。それを高句麗語では「クシ」に近く発音すると考えられる。 ●上の高句麗地名、捶項口郡、または、捶項縣の主部は「古斯也忽次」つまり「クシヤクチ」「コシヤクチ」に近い音に読む。これが「越八口」と奇妙に対応している。
最後の「忽次」「クチ」は「口」の意味として考えられる(板橋#22)。「37 交河郡 *泉井口縣 [37泉井口縣(一云於乙買串)]」参照するに「口」は「串」に対応している。「串」は村用語の一つである。つまり「口」も村用語と考えて良い場合がありそうである。 最初の「古斯」については 90 玉馬縣 *古斯馬縣 があり、玉=古斯(板橋#21)と抽出されている。 中央の「也」「ヤ」が文字列としては「項」に対応しているようなのだが、その意味を「うなじ」と取るとどうも意味がよく通じない。何らかの地形的な表現であろうか。 そこで上記以外での「也」の使用例を調べることにする。
最初のデータに立ち戻って53を見てみると
●「和語 江 ye = 高句麗 項 ya= 新羅 江」となるのではないか。 新羅地名での「江」が高句麗語の「項 ya」に対応しているとすると、和語の「江 ye」もこれに列なるものではないか、と提起できると思う。 一方では、「古斯」(コシ、玉)と「忽次」(クチ、口)に挟まれた「也」(ヤ)が「8」を表す数詞ではないか、という非常に淡い期待を頭の片隅に留めている。 云うまでもなく日本の越の國は玉(瓊:に、ぬ)の産地でありヌナカハ(今の姫川)、ヌナカハ姫に関連づけられそうである。また、「越の八口」は所造天下大神(オホナムチ)が平定した(出雲國風土記意宇郡母理郷・拝志郷)という伝承のある地である。 なお、岩波風土記では「越の八口」について「クチはクチナハ(ヘビ)・クチバミ(蝮)と同語。記紀に八岐の大蛇とあるのと同じ。或いはそれを地名化した伝承か。越後國岩船郡関川村に八ツ口がある。」と頭注している。
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