縄文語、を考える
ORIG: 2004/11/08
VER2: 2006/03/30 補足+言い回し、強調

縄文語を勉強したい、とか、判っている縄文語が少ないもっと知りたい、という質問に接した。良い機会、として、考えをまとめ(はじめて・・・)みようと思う。
まず第1に「縄文語」という言葉で何を表そうとしているのか、を明確にしよう。私は「縄文語」で「縄文時代に今の日本列島で行われていた言語(体系)、恐らく複数の言語(体系)の総称」を意味している。
この定義自体が既に、縄文時代に日本列島で言語が行われていた、という証明できない前提に拠っている。証明できない・・・そう、文書が残っているわけでも、録音が残っているわけでもないからだ。
奈良時代には確実に言語が行われていた。その前にも僅かながら文字資料がある。その前の邪馬台国時代も魏の人に何かを伝えた訳だから言語が行われていた、と考えて良いだろう。その前にもAD57年とか107年に漢に使いが出ていると後漢書が記録しているから、当時の日本人(倭人)も喋ったり、文書を書いたり、していただろう。
と遡っていって、縄文時代にだって言語が行われていただろう、骨格やそれから推定される解剖学的所見からも言葉が喋られなかったという可能性は指摘されていない(と思う)。縄文時代の遺跡の建造物から、言語なしにあのような建築が出来るはずがない、とも思う。
なんとなく縄文時代にも言語が行われていた、と前提しているが、直接的な証拠はない。間接的な推定に過ぎない。
まして、いわんや、どんな単語がどんな文法で言語体系を成していたのか、直接的な証拠を以て提示できるものは皆無である。一部には、あたかも、英・和辞典のように、縄文・現代日本語辞典 とか 縄文語文法書でもあって、それを勉強したい、と思っている向きがあるが、それは全然ハズレなのだ
せいぜい出来ること、やってることは縄文語の「復元」の「試み」なのだ。その分野で一番有名なのは崎山理さんの試みだろう。私のサイトでは縄文語のお遊びで紹介している。
そこでは、例えば「山」というのはツングース諸語に基づいて(だと思う) damban と復元している。(後に「やま」となる、ということだろう)「海」は南から(オーストロネシア諸語)来た語で wasa としている(後に「わた」となる、ということだろう)。この復元作業が私にはピンと来ないのは(1)これは北から来た、これは南から、というのはどうやって振り分けるのか(2)復元語が現代語(奈良時代の語でもいいけど)にすり寄ってることの根拠はあるのか、(3)日本語に近い音の言語を探し出してきてそれを語源だ、としているに過ぎないように見える、というあたり。
ものごとは大いに連続性がある、という前提で縄文時代にも言語があったはず、というのは同意しても、また、今の日本語が奈良時代の日本語と連続していることには大いに同意しても、奈良時代の日本語と縄文時代の日本列島で行われていた言語の連続性は、新たに追加された前提であり、これは不明としかいいようがあるまい。
さて、私論では、アイヌ語が縄文語の一つの後裔言語であろう、としている。これは、古事記・日本書紀・風土記などに見られる伝承・説話が日本語で解するよりもアイヌ語で解することにより辻褄の合うことがある、という現象に基づいている。(例えばアカハダカ参照)。一方、比較言語の面からアイヌ語と日本語は系統の異なる言語である、と考えるので、この現象は次のように説明するのが至当と思われる。

すなわち、アイヌ語の祖先語が縄文時代に(縄文語の一つとして)行われていて、そのアイヌ語の祖先語で伝承されてきた話がその後の日本語に「翻訳」され、ついには記紀・風土記に文字記録されるに到った、と。

つまり、複数の言語体系が混在していた(かもしれない)縄文時代に行われていた言語の一つが今のアイヌ語に連綿とつながっている、という仮説、を私は上記の現象に基づいて提唱している。

補足:

日本語にはどうも複数の層があるように見える事象がある。その一つとして、あることを指し示す為の単語が複数あることが挙げられる。 和語の多重構造で少しずつ提示しているが、例えば「山岳地形」を表す単語に「やま、をか、たけ、もり」などがある。これらは一つの言語体系の中で何らかの使い分け(例:大中小など)をしていたものなのか、複数の言語層から和語に入ったものなのか。そのうちのどれかは縄文時代から受け継がれてきた単語なのか、他は弥生時代に混入してきたものなのか、という視点である。


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