伊勢・志摩の語源〜信濃まで |
orig: 97/09/09
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rev4: 99/03/16
神武天皇をヘッドとする皇軍側が現地先住民「伊勢津彦」を追い払うに際して、伊勢津彦の曰く: 「吾は今夜、八風を起こし、海水を吹き、波浪に乗って東国に行くであろう」・・・ 「古語に、神風の伊勢の国、常世の浪寄せる国、という」 |
しかし、私が「日本古語の姿を色濃く残しているのではないか」と思っているアイヌ語を援用して見ますと、
isepo | 兎 | 従って、海上で「兎、isepo」と言う語を発するのはタブーであり kaykuma と言い換える。(更科源蔵著「アイヌの神話」p163) | |
三角波・白波(隠語) | |||
simaw | 大風 | si+maw 本当の(大きな)風 | |
kaykuma | 柴・薪 (兎) | (勇払郡などの方言) |
同風土記の言う「古語に、神風の伊勢の国、常世の浪寄せる国、という」とある「古語」とはアイヌ語、またはそれに非常に近い先住民の言語だったのではないでしょうか。
更に、後段(神武紀)で三毛野命が「浪の穂を踏んで常世の国にさった」という一節がありますが、ここの「穂」も、アイヌ語 pus(穂)で解すると、「蒼柴籬」(あおふしがき)の「柴」を「府璽(ふし)」と読め、と日本書紀原註があるのと良く符合します。
「ナ列」と「マ列」は音がよく交代します。そのような例は、神代の「豊国(クニ)主=豊組(クミ)野」、大蛇退治の話の「手名椎」(古事記)「手摩乳」(日本書紀)、更に後代の「任那(ニンナ)=ミマナ」、などが挙げられます。(手摩乳に就いては、「摩」を撫でる、撫づ、から「ナ」に引き寄せてますが、当然「マ」とも読めます。)
それで、「級長(しな)」の意味は「風の」、ここまでは定説ですが、これに「シマ(志摩)」を追加できる、と考えてゆきますと、伊勢から追い出された「伊勢津彦」は「信濃の国に住んだ」という風土記の話(但し、この部分は倭姫命世記を参照した後代の追記らしい)、も「風」のキーワードを介してうまく付会してあるように思われます。なお、先代旧事本紀の国造本紀に、伊勢津彦の3代孫が「相武(さがみ)国造に任命されている、と言うのも伊勢津彦が東国に去った、との言い伝えと一貫性があるように思われます。
以上から、「伊勢(・志摩)」が「古語」で「風浪」の意味であった、ことは、アイヌ語を介すると良く判ります、と言う御提案です。