伊勢・志摩の語源〜信濃まで

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伊勢国風土記(逸文)などを参照して「伊勢・志摩」の語義探索をしてみました。現状をアップして置きますので、各位のご意見など承れれば幸いです。

「伊勢風土記(逸文)、伊勢国号」
神武天皇をヘッドとする皇軍側が現地先住民「伊勢津彦」を追い払うに際して、伊勢津彦の曰く:
「吾は今夜、八風を起こし、海水を吹き、波浪に乗って東国に行くであろう」・・・ 「古語に、神風の伊勢の国、常世の浪寄せる国、という」
とあります。ここでは、「伊勢」と「風浪」の間の強いつながりを観察しておいて下さい。と言っても日本語(和語)では、どうつながるのか判りません。

しかし、私が「日本古語の姿を色濃く残しているのではないか」と思っているアイヌ語を援用して見ますと、

isepo従って、海上で「兎、isepo」と言う語を発するのはタブーであり kaykuma と言い換える。(更科源蔵著「アイヌの神話」p163)
三角波・白波(隠語)
simaw大風si+maw 本当の(大きな)風
kaykuma柴・薪
(兎)

(勇払郡などの方言)
という具合に「伊勢」が「波浪」とバッチリ符合し、「志摩」にも説話に残った「風」の意味を見出すことが出来ます。

同風土記の言う「古語に、神風の伊勢の国、常世の浪寄せる国、という」とある「古語」とはアイヌ語、またはそれに非常に近い先住民の言語だったのではないでしょうか。


ここで、kaykuma=柴・薪、に就いて想起されることがあります。それは、出雲国譲りの段です。事代主が美穂で魚釣りをしていて、そこで国譲りを容認した、その後に「蒼柴籬(あおふしがき)」を作って入水した、と記されています。この「柴(ふし)」に関してなのですが、上記のように「柴」は「兎」に通じ、「兎」は「三角波・白波」を意味します。即ち、事代主が海上に作った「蒼柴籬」とは「白波」を意味したものだったのではないでしょうか。また、「柴」のことを has とも言い、「ふし」に近いものもあります。

更に、後段(神武紀)で三毛野命が「浪の穂を踏んで常世の国にさった」という一節がありますが、ここの「穂」も、アイヌ語 pus(穂)で解すると、「蒼柴籬」(あおふしがき)の「柴」を「府璽(ふし)」と読め、と日本書紀原註があるのと良く符合します。


次に、志摩が風、大風を意味するか、に就いて傍証となりそうな事例を挙げます。それは、日本書紀神代上に「風の神」として、「級長津彦・級長津戸辺」が出てきます。イザナギの息吹に成る神です。「級長」の読みは「シナ」です。

「ナ列」と「マ列」は音がよく交代します。そのような例は、神代の「豊国(クニ)主=豊組(クミ)野」、大蛇退治の話の「手椎」(古事記)「手乳」(日本書紀)、更に後代の「任那(ニンナ)=ミマナ」、などが挙げられます。(手摩乳に就いては、「摩」を撫でる、撫づ、から「ナ」に引き寄せてますが、当然「マ」とも読めます。)

    古事記に出てくる出雲の神様の名前、「鳥鳴海神」「多比理岐志麻流美神」「比比羅木之其花麻豆美神」「布忍富鳥鳴海神」に出てくる「ナルミ」「マルミ」「マヅミ」も同語なのだろうか、と検討課題にしています。

それで、「級長(しな)」の意味は「風の」、ここまでは定説ですが、これに「シマ(志摩)」を追加できる、と考えてゆきますと、伊勢から追い出された「伊勢津彦」は「信濃の国に住んだ」という風土記の話(但し、この部分は倭姫命世記を参照した後代の追記らしい)、も「風」のキーワードを介してうまく付会してあるように思われます。なお、先代旧事本紀の国造本紀に、伊勢津彦の3代孫が「相武(さがみ)国造に任命されている、と言うのも伊勢津彦が東国に去った、との言い伝えと一貫性があるように思われます。

以上から、「伊勢(・志摩)」が「古語」で「風浪」の意味であった、ことは、アイヌ語を介すると良く判ります、と言う御提案です。


なお、現代の新潟頸城地方の方言で「うさぎ:海上に白波の立つ事」というのがあるそうです(東条操編『全国方言辞典』)。他にも日本語の範疇で「三角波」を「うさぎ」に例える事例はいくつかある。(小林多喜二『蟹工船』、与那国方言(三角波を方言では「稲搗波(イナツキナン)」という。稲搗はお月さまのなかの兎さんが持っている竪杵(たてぎね)のことである。 http://www.okinawa-jma.go.jp/ishigaki/old/paikaji/paikaji1.html )
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