「あられふる鹿島」の語源 |
「霰降る」は「鹿島」に掛かる枕詞、などとされています。どんな解釈になっているのか通覧しておきしょう。
「キシキシと音がする」なんてよりも、どうせなら、肥前風土記(p403)にあるように、杵島は昔「カシ嶋」と云った、を使って、カシマにかかる、とまとめれば良いのに、とも思います。 どうでしょう、なんか、もう素人がやったら語呂合わせ!といって一笑に付されそうなことばかりが書いてあるとは思いませんか? これよりはマシだと思える案を出してみたいと思います。
つまり、私が考えているのは「縄文語はアイヌ語に引き継がれているのではないか」、従って「縄文語の地名が残っていて、それがアイヌ語で理解出来ることがあるのではないか」ということです。
つまり、カシマと云う地名は昔、kawkaw-as、に近い言葉であり、香香背男のいた所でもあろうし、霰が降る、の意味だった。だから、カシマ(漢字を宛てるなら鹿島とか加島など)と地名が定着するにあたり、その原義が枕詞として残った、とは考えられないだろうか、という提案です。
付録: 日本書紀に、二神が高天原から葦原中国の平定に出かけるにあたり、「天に悪神あり、名を天津甕星、別名天香香背男と云う、これを討伐してから地上に下って葦原中国を平定しようと思う」ってなことを云います。 「天にも悪神がいるのか」と、理解し難かったのですが、「アイヌの世界観」 (山田孝子著、講談社)に、天の構成が述べられていて、一説では ・最高の天 ・雲間の高い天 ・星居の天 ・下の天 ・霧の天 、 となってます。これを参照すると、どうやら、二神が、より高い天から、「途中の天」(甕星のカカセヲが居るのだから星居の天か?)で悪神をやっつけて、より低い天(下の天か霧の天)に属する葦原中国に来た、と理解することが出来るのではないか、と思うようになりました。 日本書紀の天孫降臨の段でも、第2の一書では、天忍穂耳が降臨しようとしたところ、「途中の虚天(おおぞら)」でニニギのミコトが生まれたので、ニニギを降臨させることにした、との話があります。 高天原と葦原中国の間にもう一つ(或は一つ以上の)の世界、空間があったようです。 紀記の天空観には多層構造を思わせる得るものが、この二例しか見当たりませんが、それがアイヌの観念ではポピュラーなようです。
付録2:(2000/04/21 増補) 肥前風土記杵島郡の記事(岩波本P403)には「船のカシ(繋ぎ止める杭)の穴から冷水が自然に出て来た。・・・それで『カシ嶋郡』と名づけた。それが今(風土記を書いているとき)キシマというのは訛りである」とあります。 一方、出雲風土記(嶋根郡)(岩波本p129)に出てくる神社に「爾佐の加志能為」というのがあります。(出雲神社リスト#78)これの所在地に就いて同本頭注p129では「野波の野井の氏神社に合祀、旧社地は野井沖の加志島という」と書いています。出雲でも肥前でも「カシ」と言う島名と「ヰ、為、井、即ち、冷水」が面白い符合を見せています。 爾佐の加志能為:新リンク:2002/12 付録3:香取に関するメモ
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