アイヌ語と縄文語の関係
orig: 98/06/03
rev1: 98/06/13 語句訂正
rev2: 98/07/17 模式図へのlink

「アイヌ語が縄文語を色濃く遺している」という前提について関連する知見をまとめて置きます。

埴原和郎(朝日選書517「日本人の起源」、P210)
「これは今の私(埴原)の仮説なのだが、アイヌは、現代日本人の中では、縄文人の伝統を最も濃厚に受け継いだ人たちなのであろうということだ。」と云ってます。主として古人骨の種々の計測の多変数分析が根拠のようですが、生活環境による違いも手伝っていないのかと、些か疑問は残ります。

科学朝日編「モンゴロイドの道」
百々幸雄の頭骨の小変異に着目した研究
或る変異が「あるか、ないか」で判別出来る点で客観性が高いように窺えます。その研究の結果として「縄文人は、現代日本人とではなく、アイヌと非常に近い関係にあることがわかった。」と述べています。P176

科学朝日編「モンゴロイドの道」
宝来聰のミトコンドリアの研究成果(P140−)
「日本人の先住民である縄文人と近世アイヌの一部が、現代日本人と東南アジア人の一部と系統的に近い関係にあることを示している」「縄文人や近世アイヌが系統樹の上で早くに分岐した現代日本人とは、系統的にはかなり異なることを示している」「縄文人と近世アイヌに代表される日本の先住民は、現代日本人グループIIに相当することになる」(P148)と述べています。

科学朝日編「モンゴロイドの道」
更にATLウイルスの研究では、「極端に表現してみると、現在の日本人は二つに分類できる。それは第一はATLウイルス・キャリア群であり、第二はノンキャリア群である。前者は先住民であり、おそらく古モンゴロイドであろう。後者はあとで大陸から渡来した新モンゴロイドが主で、これが大和に本拠をおいた大和人(和人)である。これが北へ南へ進んで勢力を拡大し、最終的には現在、日本人の主流を形成するようになったのであろう。ここでいうキャリア群は縄文人を指し、ウイルスを持っていないノンキャリア群は主として弥生時代以降に渡来した人々を指している。」(同書P204)

これらの研究結果は「日本人には人種的に2種類観察され、ひとつは縄文人アイヌ人に共通するグループ、もう一つが弥生人系のグループ」ということと理解されます。

    勿論、これらの研究成果とは違う結論を出してる研究もありましょう
上記は、私にとっては、アイヌ語に縄文語の残照を求めて逍遥するには充分過ぎるほどの理由、背景、根拠です。


上記では、人種的な検討しか出来ていないわけで、例えば近世のアフリカ人がアメリカに渡って英語(米語)を話していることから、人種と言語が一致するのか、或は、北海道や東北北部に見られるオホーツク文化の影響を考えて、アイヌ語はオホーツク海沿岸地域の 言語と関係しないのか、が問題として残ります。

いずれ詳論したいと思いますが、言語に関しては、

    風土記に残る僅かながらの単語が日本語(弥生語主流+縄文語の影響?)では理解できずともアイヌ語(縄文語の末裔?)では理解出来ることから、これら単語を縄文語、と仮定する合理性がある(大隅風土記の「必志」沖縄方言とアイヌ語にある。肥前風土記の「比遅波」。応神天皇紀の「毛彌」。日本方言にもアイヌ語にも観察される大隅風土記の「キサシム」。)
    村山七郎の研究ではアイヌ語がオーストロネシア語につながりそう、との成果が出ている。そうだと、南洋諸島の言語と東北・北海道の言語が関係あるのに、本州などがオーストロネシア語とは無関係(らしい)のはどう理解したら良いのか。弥生語による先住民語の分断、が合理的だ。
    アイヌ語の祖先・親類をカムチャッカ半島方面、或は、オホーツク海西・北岸に求めても見つからない、
などから、日本列島に広く行われていた縄文語の残照をアイヌ語に求めることに、矛盾が見当たりません。

逆に言えば、日本列島に、カムチャッカ半島系とかツングース系の言葉が行われていた痕跡は、はなはだ少ない(アイヌ語に残る samam シャーマン がツングース語だ、との話もあるようだが、これは今日の「テレビ」などと同様の「文化」語とも称すべき借用語であろう。)

次いで「文化」に関してなのだが、上にも触れたように文化の接触、影響があっても言語の大綱が変わらないことは例を上げることができる。明治以降、或は、戦後の日本に計り知れないほどの欧米文化が入り、それに伴い多数の借用語がはいったが、日本語の大綱は変わっていない。

このような考察から、縄文人が縄文語を使い縄文文化を列島に広めていった、という縄文時代の人、言語、文化の動きを総括してよかろう、と思っている。

    「縄文文化」と言っても時間・地域でその様相は複雑であり、こんなに簡単に言い切ってもいけないが、さりとて、解像度を上げるだけのデータは無い、知らない。

繰り返すが、その伝播にあたり、縄文人にとっての異人種が列島にいたかもしれないし、(コロボックルとか。。。)それらを駆逐したのか、混血して融合してしまったのかはわからない。奈良・平安時代頃オホーツク文化が北海道(東岸)から入ってきたが、人種的な交代があったというデータは寡聞にして聞かない。その地域でもアイヌ語が他の北海道地域と同様に行われていたので、言語が入れ替わったわけでもない。

拙論も幾つかの仮定・仮説の上に成り立っているが、現在の知見から見て最も妥当なものと考えている。他の仮説は、もっと多くの仮説を導入しなければならない、というほどの意味で。。。

それで、「アイヌ語が縄文語を色濃く遺しているのではないか」、との前提が出来るのです。


日本語とアイヌ語;それらの縄文語、渡来語、弥生語との関連模式図
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