ユーカラに就いて
その伝承者
orig: 98/06/07
つい2、3年前まで、自分も一切知らなかったユーカラに就いて、少しでも多くの方に知ってもらいたいと考えるに至りました。ユーカラを「和人世界」に紹介するに関しては、国語学者の金田一京助の甚大なる力がありました。このページでは、主として金田一の紹介になる、恐らくは最大の伝承者、金成まつ、に就いて述べます。

「金成まつユーカラ集」金成まつ著、金田一京助 訳・注、三省堂 [全7巻] (第8巻と第9巻には鍋沢ワカルパ他のものが載せられている)が中心的存在だと思われます。

金田一の文から:

    「部厚な上等のノートを毎月(金田一から金成に)送って昭和3年から19年に 至るまで(金成まつが)書きづづけたのが等身の高さの七十余冊、実に一万五千ページに及ぶ堂々たるアイヌみずからの手に成る手沢本のアイヌ文学の巨冊が出来上がったのである。」
別の場所では一万七千ページ、ともありますが、いずれにしても大著です。全部で92編の物語が記録されました。
    「金成女史は、若い頃習い覚えたローマ字で、妹さんと、永年信書のやりとりをして居られたから、日本語は書き慣れたもんだけれど、ユーカラを書きだされたのは、この集が初めての試みだった。前人の書いたものをみならったのでもなし、暗誦しているものを、ただ全く自由に書き流されたものである・・・。」
即ち、アイヌの人が話すものを和人が筆録したのではなく、アイヌ婦人が自らローマ字を使って自分の言葉を記録した、と言う独特の価値もある著作です。これに、金田一が訳と注を付けているわけです。

金成まつ、アイヌ名イメカヌ、(1875.11.10 - 1961.4.6)。これから、執筆したのは54歳から70歳の期間ということになります。

彼女は明治25年(1892)18歳(数え年)の時にキリスト教の伝道学校に入り、31年(24歳)に卒業し、日高の平取の教会に勤務し、明治42年(35歳)から17年間旭川郊外の近文で伝道に従事。ここで大正7年、アイヌ語の調査に来た金田一と出会います。

金成なみ、まつの妹、は知里高吉に嫁いで知里幸恵、高央、真志保をもうけます。この最後が彼の知里真志保です。長女の幸恵は伯母に当たる金成まつの養女として、まつの所に居たので、金田一もこの時(上記の大正7年)まつと幸恵と一緒に話をします。

次いで、知里幸恵が東京の金田一の家に滞在します、この際、幸恵は自筆の「アイヌ神謡集」を持参します。自筆のアイヌ語、日本語訳つき、です。これは後に岩波文庫(赤80−1)として出版されます。金田一はこの聡明な幸恵からアイヌ語を究めます。幸恵は心臓病から、わずか20才で大正11年、この世を去ります。

次いで、金成まつ、が金田一の家に招請されます。金田一が多忙で面倒見られなかった間に、まつは自分でローマ字でユーカラを筆録し始めます。そして、上記の17年間に、なんとノート17、000ページに亘る大著を完成します。 これに金田一が訳・注を付けて三省堂から全7巻の「金成まつ ユーカラ集」が三省堂から世に出ます。

流石に(?)国も「この大量のアイヌ文学記録化の功績が見いだされて、昭和31年、無形文化財に指定され養老年金の出る身となり、次いで、紫綬褒章を下賜された。本年、数え85歳、まだ幌別郡登別町にかくしゃくとして健在である。」(本年とは、1959頃のこととなる。没年は1961。享年86才。)


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