「イソ」は10か、50か?
orig: 2005/06/07
記紀などでは「五十」と書いて「イ」の一音節に読ませ、「五」と書いてあるのを「イツ」と二音節に読ませている。かねてより不思議に思っているのだが、次のようなことを考えている。
まず日本語の数詞の構造に「倍数法」が見られる。下表の上3件は既知であるが、これを敷衍して第4行を仮設している。 (季刊『邪馬台国』#55 P140)
hitohuta1と2
mimu3と6
yoya4と8
itsu(i)tso*5と10、これは日本語のtoがtsoに溯るかに係る

"ts" が後に"t"になったり"s"になったりした、という考え方である。そのように展開したと思われる例として、i-tsa-sa がイタサ、イササに転じた、と理解するのである。(更に「イナサ」へも転ずるし「イザサ」もこれに列なる語であろう。)

これに倣って、10 itso* の場合は、同様に、イト、イソに転じた、と考えるのである。

上記のように「五十」と書いて「イ」、「五」だと「イツ」(例:五瀬命)と読む慣行(敢えて言う、慣行)になっているが、これを見直して見てはどうか、と提起している(『初期天皇后妃の謎』)。すなわち「五十」は「イソ」を読むべきではないか、と。

ここで、上の倍数構造の検討から見ると「イソ」は10であることが相応しい、少なくとも10である可能性を吟味する必要がありそうだ。

しからば、数値50は何と言ったか:「イツ・イソ」を構造的源として二重母音を嫌った「イツ・ソ」あたりの形に遡るのであろう。(参照30=ミソ、40=ヨソ、など)。そして50のことを、後代「イソ」と言うようになったかもしれない。としたら、先住の「イソ=10」は単に「ソ」と言うことにしないと10か50か混乱することになる。このような変遷があったのではないか、と想像する。文献からは証明できそうもない。

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