虁(キ)の神・メモ
orig:2009/08/04
山梨県春日居町鎮目小字宮の前にある山梨岡神社に「虁神」(きのかみ)が祀られている。 http://www.eps4.comlink.ne.jp/~kumagai/kasugai/oka/oka.htm には次のように記載されている:
(引用開始)
この神社独特の「きのかみ」と言う独足の神が併祀されている。 「きのかみ」とは、麒麟(きりん)、龍(りゅう)、猩々(しょうじょう) 等と同じ、中国古来の想像上の動物(獣神)の一つで「状は牛、蒼身にし て角無し、一足。名づけてきと言う。」とある。  元々中国で考えられ たものであるが、仏教とともに伝来し祭神されたのか、あるいは元々岡神 社に祭神されていた一本足の神様が、中国の想像上の獣神に似ていたため、 「きのかみ」と呼ばれるようになったのかは不明である。  元々10年 に1回の開帳がその後7年に1回となり、今は毎年春の祭典で開帳される。 (引用終わり)

どういう性格の神かと調べてみると: 参考サイトに詳しい。 また山童も。

興味を惹かれるのは「虁(キ)神」が
・「姫」「紀」などの「キ」に通じるのか(呉の太白の裔 「姫氏」):参考:キの国
・一つ目、と、一つ足 の関連
・虁神=山樔(さんそう)→やまずみ:やまつみ(山祇)の展開 あたりである。

妄想一例:
大山祇 とは 虁神 の和訳バージョンか・・・・

一本足、という特性を考えてみると「案山子(かかし)」を想起する。調 べてみると、案山子は山の神(田の神)を表象しているとされている。 山の神は一本足、という地方もあるようだし、一本ダタラ(いっぽんだた ら)は、熊野の山中に棲む妖怪。 一つ目で一本足の姿をしていて、一本 足で飛ぶように走る。 叫ぶとその声で木の葉がばたばたと落ちる。 「声 を叫ぶ」という特性も山樔などと共通のようだ。

「虁の神」要素の国内での種々の相での変貌なのか。輸入された「虁の神」 概念が国内の種々の要素と混じっているのか。「無関係」ではないが「直 接的な関係」でもない、というアタリだろうか。

http://watowa.livedoor.biz/archives/2009-05.html?p=2 には 「虁の神」が猿の形をしている(こともある・・・)として
サルタヒコ、猿女君(音楽に関係する)との関連もあるか、と指摘している。

楽祖、というのは、なんとなく、後世の付会、追加、習合あたりかなぁ、という感覚を持っている。

[2009/08/17追記] 雄略11年秋7月紀:百済から逃げて来た人あり。自称「貴信」と云う。また曰く、貴信は呉国の人と云う。磐余の呉の琴弾き、さかての屋形麻呂らは後裔である。 「貴」は「虁」と同音、類似音であろう「貴」という家系の「信」さん。琴の演奏を稼業としているようだ。

キの国
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参考文献
http://page.freett.com/sekihantaki/tadaf/tora/kataashi.html

キ・片足神(一本ダタラ、山精)

 キは、紀元前千七百年から前千百年頃の古代中国に栄えた殷の最高神の一つで、キ竜もしくは竜キョなどとよばれて、後の周、秦、漢と続く王朝の象徴となる竜の原型であったと思われる。キを崇拝していた殷(商)が周に滅ぼされると、たちまちキは土俗神に零落し、かろうじて周辺の少数民族である苗(ミャオ)族や越(ベトナム系)、呉(タイ系)などに、風雨(雷)神もしくは鍛冶(青銅)神として信仰され、生き残ったものと思われる。

 殷(商)時代に竜蛇形として信仰されていたキは、東南アジアの水神の一般イメージである牛神と習合し、紀元前五~三世紀に成立した『山海経』では、角のない片足の牛の姿を描写している。その身体の蒼い色とは青銅の錆びた色と同じで、その皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたくと、その声は五百里のかなたまで聞こえたとは、いわば青銅製の鼓を表現したものであろうか。

 これは現在、山梨県東山梨郡春日居町鎮目の山梨岡神社に、飛騨匠作と伝えられる雷神キの神として信仰されている。その姿は『山海経』に描写されている姿にきわめて似ている。

 『山海経』の大荒西経には、この牛形のキとは違った嘘(きょ)を紹介している。人面で臂(うで)がなく、両足は反り返って頭の上についていとある。これはキを信仰する少数民族そのものをキに見立てて妖怪視したもので、後世山ソウや山ショウの妖怪が生まれることになる。

 漢代以前、貴州(貴州省)は鬼州とよばれてキが居住する地とされていた。前7、6世紀の春秋時代の四川省東部に、この《キ》とよばれる氏族がいたことが知られている。婦人を背に負う習俗をもつ種族を《キ一足》と『論衡』で語っているが、これは苗族と同族のヤオ族の習俗であった。

 『書経』の「尭典」には舜(古代説話に見える五帝のひとり)の楽官としてキが登場する。これは銅鼓をもって遠距離通信、音楽をおこなっていた苗、ヤオ族の習俗に近い。『国語』の「魯語」によればキを一本足の人面猴身と記して、猿人のような一本足の精として描写している。これを『抱朴子』内篇の登渉17に「さらに山精がいる。鼓のように赤い色をしていて一本足で、その名を暉(キ)という……」とあり、さらに「竜のようで(竜の姿に似て)五色で赤い角があり名を飛飛(飛竜)という」とあって、キの古形である竜蛇形の姿を描写している。

 『永嘉郡記』には暉の別名として山魅、山駱、熱肉、飛竜、山蕭は『酉陽雑爼』の山ソウ、『広異記』や『太平広記』の山ショウ、『捜神後記』の山ソウと同じものである。

 また治鳥は、浙江省に棲む山ソウの一種で、昼は鳥、夜は人に変身し深山に棲み、虎を使役するという。『三才図会』には越人の祖神(キ)であるとして、『和漢三才図会』では天狗(烏天狗)の原型(ルーツ)だとしている。山ソウは日本で山童とよばれ、猿人のような姿を描写しており、一部では一つ目一本足の暉や山ショウは雄を山公とよび、雌を山姑とよび、日本では雄を山父や山爺などとよび、雌を山姥とか山女などとよんでいる。こうしたキを祖とし、日本では山神一般を一つ目一本足の姿として描写するようになったと思われる。

 もともと山の木石の精霊を示す魑魅(ちみ)という総称が、元来キであったことから、日本における山神や山の妖怪全体にその影響がおよんでいるのだろう。狒々をヤマワロウとよんで同一視したり、山精と旱魃を同じものと考えたりしている。

 今日一本ダタラや山爺など一本足で一つ目であるという姿形の伝承は、タタラ(鍛冶)師の職業病が由来であると説明されるが、これら一つ目一本足の妖怪の変遷をふまえると、単純な説明ではいいあらわせないものがあることが想像できる。

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山童

 片目片足の妖怪はキに起源し、零落したキを総称したものが魑魅(ちみ)であった。山ソウ(サンソウもしくはヤマワロ)は、このキの直接の子孫であり、魑魅の代表的な精(妖怪)であった。現在中国では山ソウなどの疫病や火災をもたらす悪鬼を五通七郎諸神とよんでいる。

 日本では山ソウは一つ目小僧や山爺、もしくはコト神や山童に分化して伝わっており、そのうち河童と習合したものが山童(やまわろ)である。その結果、日本各地の山童の類は中国の山ソウ本来の特徴のみがみられるものから、河童の性質が濃く、ほとんど山童的な特徴がないものまで存在している。

 沖縄のキジムナー群や奄美大島のケンモンやヤマンボ、あるいは岐阜県のヤマガロやヤマンボなどは河童の特徴がほとんど見られない。一方、鹿児島県のガラッパ、ガーロ、ガワロなどの類は、完全に河童と同化してしまっている例である。また韓国済州島のトチェビも、八割がたキジムナーやケンモンなどの特徴と共通し、起源を同じくしていることがわかる。

 山ソウ伝承の日本渡来は、中国浙江省にかつてあった《越(えつ)国》の滅亡(紀元前三三四年頃)以降、稲作伝来とともに九州西岸に断続的に伝来してきたのであろう。

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